「私たちの叫び」
私たち人間は、人生を歩む中で様々な困難や試練にあいます。そこで私たちが主なる神に対して叫ぶのは、「主よ、なぜ?どうして?」です。私たちの気持ちがよくそこに表されています。しかし、「なぜか、どうしてか」は、限りある人間に、その時点で分かりえることはそう多くはありません。「訓練のため」なのか、「教育のため」なのか、「神の栄光があらわれる」ためなのか、それとも「自らの罪が原因」なのか。
ひとつ言えることは、「主よ、なぜ?どうして?」という叫びをしたならば、必要以上にそこに留まり、堂々巡りを続けるよりも、主の前に謙り、「主よ、憐れんで下さい。主よ、お助け下さい。主よ、お赦し下さい。主よ、お救い下さい。」と叫ぶ者でありたいのです。
「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」(詩篇50編15節)
2011.3.27