「命と器」 「御子を持つ者はいのちを持ち」(第一ヨハネ5章12節)
私達クリスチャンは、二つの誕生日をもっています。肉の誕生日と霊の誕生日です。肉の誕生は母の胎から産まれた日、霊の誕生日とは主イエスを信じた日です。
主なる神は、母の胎内で私達に命を与えられると同時に、その命を保たせるために器なる肉体を与えてくださいました。命のない肉体は生きていなく、肉体のない命は生きていけません。命と命の器なる肉体の両方があって、生きて行けるのです。
霊のことについても同じく言えます。私達は主イエスを救い主と信じた時、霊的な命(新生、神との霊的交わりの回復)をいただきました。主イエスの命が、今も流れ込んできています。この霊的な命をも保たせるためには器が必要であります。主イエスはそれをも私達に与えてくださっています。
霊の器とは、信仰告白であり、洗礼を受け教会に加わり続けることであり、礼拝をささげ聖餐の恵みにあずかり続けることです。この故に、霊的にも生き生きと歩むことができるのです。
命のない形式ばかりの器だけにならず、器がなく霊的命を保てない者にもならず、主イエスのあふれる命を豊かな器で受け、歩んでいきたいのです。
2009・7・19
私達クリスチャンは、二つの誕生日をもっています。肉の誕生日と霊の誕生日です。肉の誕生は母の胎から産まれた日、霊の誕生日とは主イエスを信じた日です。
主なる神は、母の胎内で私達に命を与えられると同時に、その命を保たせるために器なる肉体を与えてくださいました。命のない肉体は生きていなく、肉体のない命は生きていけません。命と命の器なる肉体の両方があって、生きて行けるのです。
霊のことについても同じく言えます。私達は主イエスを救い主と信じた時、霊的な命(新生、神との霊的交わりの回復)をいただきました。主イエスの命が、今も流れ込んできています。この霊的な命をも保たせるためには器が必要であります。主イエスはそれをも私達に与えてくださっています。
霊の器とは、信仰告白であり、洗礼を受け教会に加わり続けることであり、礼拝をささげ聖餐の恵みにあずかり続けることです。この故に、霊的にも生き生きと歩むことができるのです。
命のない形式ばかりの器だけにならず、器がなく霊的命を保てない者にもならず、主イエスのあふれる命を豊かな器で受け、歩んでいきたいのです。
2009・7・19