静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2024年03月10日 | 天のマナ
「人生における苦難の役割」

 伊東教会の祈祷会は月の3~4回、伊東教会堂と伊豆大島の泉の家と静岡教会堂の三か所をネットでつなぎ、オンライン(映像と音声)でしています。今はヨブ記のみ言葉に耳を傾けて23章まできました。ヨブの忍耐、そしてヨブ記を読む者達の忍耐、何よりも主なる神の忍耐と主権とをおぼえます。

「神はなぜ人間が受ける苦難を許容しているのか」という問いを誰しも持ったことがあるのでしょうか。もし、苦難がなければ幸いな人生なのにと思います。もちろん苦難は苦しく辛く喜ばしい事ではありませんが、地上の歩みをしている私たちには必要なことなのでしょう。もし、苦難がなければ、人は高ぶり、人の弱さ小ささを知ることがないからです。苦難は、第一に「人がどういう者かという」ありのままを教えてくれます。人はまさに「小さくて弱い存在」です。そして第二に苦難は、人を神に向けさせます。それも真摯(まじめに熱心な事、ひたむき)に向き合うことをさせるのです。そして「神こそが主権者である」ことを人は知るのです。
「苦しみ遭ったことは私に良い事でした。あなたの掟を学ぶためでした」(詩編119:71)
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