静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年02月11日 | 説教要約
「罪人を救う神」

 イエスはまた海べに出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(マルコによる福音書 2:14-17)

 食事を共にするということは、親しい間柄でなされます。主イエスは、誰と食事を共にしたのでしょうか。

Ⅰ 主イエスに招かれる者とは
 主イエスは、地位・名誉・財産のある者と食事をしたのではありませんでした。主イエスは、当時嫌われていた取税人や律法を守らない人達を招き食事をしていたのです。彼らは、自らを正しいとしているパリサイ人や律法学者とは違い、自分の罪を自覚し、救い主を必要としている人達でありました。そういう人達と主イエスは食事を共にしたのです。「わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」とあります。

Ⅱ 主イエスに招かれるとは
 主イエスは、彼らと食事をすることにより、彼らに何を与えたのでしょうか。罪を自覚し救いを求めている者に対して、主は食事の中で神の国の訪れ(神による罪の赦しと新しい信仰による喜びの歩み)を伝え、それを与えたのであります。主イエスと食事するとは、そういうことであります。

 この朝もあなたの心の戸を叩いて、主イエスはこう語っています。「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」(ヨハネ黙示録3:20)

2007年2月11日
説教者 杉本守牧師
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