静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2015年02月08日 | 説教要約
 「天地を造られた神の恵み」 詩篇115篇1~18節 

「天地を造られた主によって、あなたがたが恵まれるように。」(5)

 この詩篇は、真の神とは偶像の神ではなく、天地を造られた神であることを告白しているものです。
人間は目に見える世界に引き寄せられていきます。そのゆえに一番大切なものを見失うのです。
己の願いや欲をかなえるために考え出された神々を、人は金や銀や白金で見える像にしたて刻み込みます。
眩いばかりの偶像です。しかし、どんなに大きくても眩くても、人の手で造られた偶像は、語れず、見ることができず、聞くこともできず、歩くこともできないのです。命がないかたちだけの飾り物だからです。それらの偶像の神々を造り信頼する者らは、偶像に等しくなるとあります。
 しかし、聖書の神は、天地を造られた神であり、神を恐れる者を守られ恵まれる生きた神であります。そして、神ご自身のみ心を行われています。この真の神を信じる者は、この神に似せられてくるのです。「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。」(Ⅱコリント3章18節)のです。

2015・2・8 説教者 杉本守

  
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天のマナ

2015年02月08日 | 天のマナ
 「命の尊さ」
 
 世界ではいつの時代も、国々が対立しあう戦争や民族らの紛争が繰り返され、暴力によって平和と秩序が脅かされ、虐殺や殺人によって尊い命が奪われています。この日本においても繰り返し事件が起きて命が奪われ、私たちは心を痛めています。学校では年少時代より、「命の尊さ」を教える授業がなされています。
 「命の尊さ」は、どこから来るのでしょうか。それは、「命は神のものであり神のみ手の中にある」というところからです。「命」は人間のものでも自分のものでもありません。神のもので私たち人間は神から預けられ、生かされている者です。だから、良き管理者として健康に生き神からの使命を果たすのであります。他者の命は、神がその人に預けている尊い命であるので、殺人をしてその命をとってはいけまません。また、自分の命も、神が自分に預けている尊い命なので、自殺をして自分の命を自分でとってはいけません。命は神の領域で人間は手を出してはいけない尊いものなのです。
 その人が神に与えられた使命を果たした最善の時、神がその人の命をとられるのです。時には災害や事故で、私たちの考えを越えたことが起こります。地上で生きるひと時の私たちには理解できませんが、やがて神の国で主イエスの前に立った時に、「ああ、そうだったのか」とわかる日が来るに違いありません。   
 
「主が与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(新改訳ヨブ1:21)

2015/2/8
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講壇の花

2015年02月08日 | 生花
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