静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2014年11月16日 | 説教要約
「主なる神のみこころが行われますように」 使徒行伝21章1~14節

「こうして、パウロが勧告を聞きいれてくれないので、わたしたちは『主のみこころが行われますように』と言っただけで、それ以上、何も言わなかった。」(14)

 第三伝道旅行も終盤になり、パウロはエルサレムへ行くことを表明します。ツロの人たちはパウロを止めようとしますが、パウロは主から与えられた使命を果たすことを続けます。ツロの人たちとパウロは海岸でひざまずき共に祈ります。その祈りの姿はなんと麗しいことでしょうか。

 カイザリヤに着いたパウロは、伝道者ピリポの家にて幾日か滞在します。アガポという預言者が、パウロにこれから起こることを預言します。それは、パウロがエルサレムで迫害を受け縛られるというものでした。それを聞いた兄弟たちは、パウロがエルサレムに上らないように泣きながら願い続けました。人間的な感情から言いますとここまでされたら、さすがのパウロも動揺したことでしょう。「わたしの心をくじいたりして」と言っています。けれども、パウロは、人間的な感情の部分も神にささげて、神から授けられた使命を果たすために、こう言います。「わたしは、主イエスのためなら、エルサレムで縛られるだけではなく、死ぬことも覚悟しているのだ」と。

 この言葉に、兄弟たちも、人間的なものから解き放たれて、「主のみこころが行われますように」と祈ったのでありました。

 私たちはどうでしょうか。人間の感情、意志は大切なものでありますが、神のみ心より優先するものではありません。神にささげ、神のみ心が行われることを第一とするものでありたいのです。そこに主のみ業は進んでいきます。

2014.11.16 説教者 杉本守
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2014年11月16日 | 天のマナ
「キリストの手紙である私たち」
  
 先週の教会バザーでの兄弟姉妹のご奉仕をありがとうございました。雨模様でしたが、地域の方々が多く来場して下さり、良き証しの時となりました。初めて教会堂に入られた方、初めてクリスチャンにあって会話をした方もおられたと思います。パウロは、第二コリント3章1~3節でクリスチャンを「キリストの手紙である」と語り、「墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれた者である」と言っています。多くの方々が、私たちクリスチャンと出会い、キリストを読み取りました。ある両親と娘さんが二階でラーメンなどを食べながら、み言葉を読んでその意味について話していました。「心の貧しい人がなぜ幸いなのだろう」などです。横にいた私は、「教会は初めてですか?」と自然に語りかけ、そのみ言葉の意味、クリスマスの案内、ライフラインテレビの案内などをお伝えすることができました。その方々は、「クリスマスに来たい」と言っていました。バザーに来た方々が、導かれるように共にお祈りいたしましょう。

2014/11/16
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2014年11月16日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする