静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2014年02月16日 | 天のマナ

「信仰と信仰生活」                        

 「ちいろば」と呼ばれていた榎本保郎牧師は、「信仰とは、神から現実を見る態度である」と述べています。自分の視点ではなく、誰かの視点でなく、現実の一つ一つを神の視点で見させていただくのです。神の視点とは、御言葉であります。榎本牧師は続けて、「信仰生活とは、神を信じて生きてくことではない。神の言葉に従って生きていくことである」と語られました。信仰生活とは実際的な歩みであります。それは漠然と神を信じていくのではなく、神を信じて生きていくことが具体的にあらわされていくことです。まさしくそれは、神の言葉に従うことの連続であります。私達の信仰が、観念的ではなく、神の言葉に従うということが具体的に、日々の歩みの中であらわされていくのです。「

 神を愛しなさい」「自分を愛するように隣人を愛しなさい」とのみ言葉に従う時、私たち一人一人は具体的にどのような行動をしていくのでしょうか。神への愛は、礼拝、御言葉に親しむ、祈り、奉仕、献金、伝道などでしょう。人への愛は、あいさつ、共にいること、共に祈ること、手紙や電話、生かす言葉、与える行動などでしょう。

2014・2・16

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主日礼拝説教要約

2014年02月16日 | 説教要約

「キリストに属する者」 使徒行伝11章19~30節

「このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。」(26)

 アンテオケにて、ギリシャ人にも福音が伝わり、彼らが主イエスを救い主と信じて救われていきました。このことがエルサレムの教会に伝わり、エルサレムの教会はバルナバをアンテオケに遣わしました。

Ⅰ 神に仕える僕の働き

 ユダヤ教と何のかかわりもない全くの異邦人が救われている状況をみて、バルナバは伝統や慣例に縛れることがなく、彼らに成された神の救いを喜びました。そして、心を堅く保って、常に主にとどまるように勧めました。それは、一時的な感情の高揚でもなく、律法的な理解でもなく、ただ真実に主に仕えていくことでした。そして、バルナバは、彼らを育成する必要を強く思い、サウロ(パウロ)を引き出し用いたのでした。それはアンテオケのクリスチャンにとってもサウロにとっても良い導きとなりました。

Ⅱ 神に属する者たち

 アンテオケ教会の人たちは、周囲の人々から、「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。それは、彼らが「キリスト、キリスト」と口を開けば、イエス様のことを話していたからに違いありません。クリスチャンとは、「キリストに属する者」のことです。主イエスを救い主と信じた者は、キリストに属しています。その姿は、アンテオケのクリスチャンから見ることができます。それは、母教会なるエルサレムの教会の困窮を助ける愛の行いをいたします。さらに、異邦人伝道の拠点となり、パウロを支え、福音を伝えるのです。

 キリストに属する者とされたことを自覚し、誇りを持ち、キリストの栄光をあらわせていただきましょう。

2014/2/16 説教者 杉本守

 

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講壇の花

2014年02月16日 | 生花
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