静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2014年02月02日 | 天のマナ

「赦すこと」  

 ナルニア物語を書いた神学者C・Sルイスは、次のように「赦す」ということを語っています。「赦しとは、公平さに関する人間の常識を超えたもので、まったく容認できないものを容認することだ」。私も彼の言葉に同感です。理不尽なことを言われたりされたりする、「どうして」という被害にあうとき、それらは公平さに関して人間の常識を超えたものであり、容認できないことであります。しかし、「赦し」とは、驚くことにそれを容認してしまうのです。彼は、「クリスチャンとは、赦し難い人々を赦すことである。神があなたの中にある赦し難いものを赦してくださったからである」と続けました。

 隣人をまた自分を赦すことができる人は、神によって赦されていることを本当に体験した人であります。主イエス・キリストの十字架での犠牲により、どんなに主なる神は私たちを赦し受け入れてくださっているのでしょうか。「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。」(Ⅰヨハネ3:1)

2014/2/2

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主日礼拝説教要約

2014年02月02日 | 説教要約

「聖霊を内に宿す」 使徒行伝11章1~18節

 異邦人が神の言葉を受け入れたことは、エルサレムにいる兄弟達に衝撃を与えました。この箇所から主の言葉をいただきましょう。

Ⅰ 肉体の割礼の時代の終わり

 エルサレム教会の中でも割礼を重んじる者達が、ペテロを咎めたのです。救いは割礼を受けたユダヤ人のものであって、無割礼の者は、割礼を受けてから救いに与るものであると考えていたからであります。クリスチャンになったとはいえ、ユダヤ主義的な長い伝統の中で培われてきた者達は、そう簡単に考えを変えられなかったのでした。旧約においては神との契約を結んだしるしを割礼を受けるようになっていたからです。しかし、救い主イエスの十字架と復活による福音により律法は成就され旧約は終わり、主イエス福音と聖霊の降臨によって、新しい契約(新約)の時代が始まったのです。肉の割礼は終わったのです。

Ⅱ 聖霊による心の割礼の時代の始まり

 聖霊の降臨により、聖霊は主イエスを指し示し、主イエスのなされた救いを付与する働きをいたします。人々の罪を示し、悔い改めに導き、主イエスの十字架によって罪を赦し義とし、主イエスの復活の恵みによって、生まれ変わらせ神の子とするのです。これこそ、心が罪に覆われていたものを、罪が赦されることにより心があらわされ義とせられ、さらにきよめられる心の割礼であります。 聖霊は信じる者の内に入ってくださり、満ちてくださるのです。

 聖霊の内住をいただいているクリスチャンは、聖霊に喜ばれ満たされる者として歩んでいきましょう。

2014/2/2 説教者 杉本守

 

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講壇の花

2014年02月02日 | 生花
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