静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2014年01月19日 | 説教要約

「人をかたよりみない神」 使徒行伝10章23~43節

 主なる神は、ペテロをカイザリヤにいる異邦人の百卒長コルネリオのもとへ導きます。

Ⅰ 神の旧い戒めに従ってきた信仰

 主なる神は、ペテロに幻を見させます。それは律法により、ユダヤ人が食べてはいけなく、汚れたものとしたいた各種の生き物が入った大きな布のような入れ物でした。主なる神はそれを食べよとペテロに言いますが、ペテロは汚れたものであるとして食べません。主なる神はさらに、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはいけない」と言われ、こんなことを三度もやり取りいたします。なぜ三度もなのでしょうか。ペテロは、旧い戒めに従ってきた自分の伝統や生活感情が神によって砕かれる経験が必要だったのです。ペテロは、これは何の意味だろうと考えますが、コルネリオのところに導かれることによって、その意味を知るのです。

Ⅱ 神の新しい戒めに従う信仰

 主イエスによって、律法は成就し、食べ物の規定する律法は終わりました。神は新約の時代にはどんな食べ物も食べて良いと言われたのです。しかし、これは食べ物のことだけを言っているのではなく、この食べてはいけない汚れたものとは、異邦人のことを示していたのです。ユダヤ人は異邦人を汚れた者として、交際をしていませんでしたが、主なる神の救いの恵みはあふれ出て、ユダヤ人だけではなく異邦人にも救いを与えるのです。その時代が来たのです。ペテロの救いの説教を通して、主イエスは異邦人であるコルネリオとその家族らを救い、聖霊が彼らに降り、神の同じ救いが異邦人にもなされたのです。ペテロはそれを見て喜び、神の新しい戒めを受け入れたのでした。それは、神は人を偏り見ない方で、全世界の人の救われるのを望んでおられるということです。

 私たちは偏見をもっていないでしょうか。神はどんな人でも救ってくださる方なのです。

2014.1.19 説教者 杉本守

 

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天のマナ

2014年01月19日 | 天のマナ

「新年聖会の恵み」                  

 先週、2014年の教区新年聖会が持たれ、グレースチャペルからは16名が参加して、主のきよめの恵みをいただきました。講師が神によって遣わされ、クリスチャンに欠かせないきよめの恵みを聖書より語ってくださいました。人類の代表であるアダムが罪を犯して以降、原罪なる自我をもって生れてきた私達一人一人、内に宿る罪なる性質を持ち、罪を犯すべくして犯した私達一人一人に対して、神はキリストの十字架によって共に死に、キリストの復活によって共にいかしてくださるきよめの恵みが語られたのでした。参加者一人一人は、聴き入り、信仰によってこの恵みに与りました。今回のきよめの説教は、きよめの恵みを知的にも霊的にもはっきりとわからせていただける内容であり、クリスチャンの兄弟姉妹は、一度ならずに何度もCDで聞き、ホーリネス教団に導かれ組み入れられている者として、きよめの恵みについて語り伝える者であらせていただきましょう。これは逃してはいけないキリスト者の恵みであります。「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(ガラテヤ2:19、20)

2014/1/19

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講壇の花

2014年01月19日 | 生花
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