静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2014年01月12日 | 天のマナ

 「神の憐れみの深さ」  

 ナルニア物語を書いた小説家であり神学者であったC・Sルイスは、「われわれは、傲慢(おごりたかぶって人を見下すこと)である間は、決して神を知ることができない。傲慢な人は、いつも事物や人びとを見下している。見下している限り、自分の上にある方(神)が目に入らないのは当たり前である。」と語っています。

「自分は正しいし他の人のように誤らない。自分はできるので自分には神なんて必要がない。自分は他の人のように弱くはなく一人で立派に生きて生ける。」と豪語している間は、神を知りえず神と出会うことはできないのです。神を知り、神を信じるための第一歩は、まず自分が罪人であることを知り認めることであります。そのためにあえて神は、人が自らの弱さや罪深さを認めるために、挫折というものをこの世から取り除かなかったのでしょう。神の憐れみがここにあるのではないでしょうか。

2014/1/12

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主日礼拝説教要約

2014年01月12日 | 説教要約

「心を主なる神に向ける」 詩篇85篇1~13節

 この詩篇は、バビロンの捕囚から解放されて帰ってきた時に作られた詩と考えられます。彼らは、祖国エルサレムの再建の意欲に燃えていましたが、いざ到着し着手してみますと、それはあまりに困難で、見通しがつかないものでした。

Ⅰ 感謝と祈りによって

 このような中で、彼らがまずしたのは、捕囚からの解放に対する感謝でした(1~3)。私たちは、今や捕囚の地にいるのではない! 神は御民の咎を赦し、罪を覆ってくださり、激しい怒りを取り去って下さったのです。彼らは感謝をもって、回復の祈り(4~7)をささげます。バビロンから解放して下さった神が、エルサレムの町を回復してくださらないはずがありませんと。

Ⅱ 栄光から栄光へと

 主は、御民と聖徒たちとに平和を告げ、彼らを再び愚かさに戻さず、神との和解の中で、栄光から栄光へと導いてくださるのです。12節には、神の掌中にある国民の祝福された姿が描かれ、主は良いものを下さるので神の民は祝福されることが告白されています。

 私たちを救ってくださった神は、人格や人間関係を回復し、私たちを本来の人の姿に戻し、栄光から栄光へと変えてくださるのであります。信仰によって始め、信仰によって得たものは信仰によって完成されていくからです。

2014/1/12 説教者 杉本守

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講壇の花

2014年01月12日 | 生花
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