「主権は主にある」 使徒行伝2章43~47節
聖霊を受けた使徒達は、最初の教会を形成していきました。それはとても麗しい主のからだとしての教会でありました。
Ⅰ 力強く麗しい教会
使徒たちによって多くの奇跡としるしがなされ、神をおそれる教会でありました。また、ささげ分け与える生活がなされ、宮へは礼拝に行き、聖餐、愛餐、祈りによる霊肉の交わりがなされ、さらに使徒たちによって主イエスの教えがなされ守られていました。教会内だけではなく、すべての人に好意をもたれていた群れでした。
Ⅱ 力強く麗しい教会をもたらした理由
どうしてそのような教会となれたのでしょうか。それは聖霊に満たされていたことはもちろん、主権を主にした教会だからであります。「おそれの念が生じ」とは、主なる神への畏敬であり、主なる神こそが主権者であることです。いっさいの物を共有にして、必要に応じてみんなの者に分け与えられたというのも、財に関しても時に関しても、いや全てのものは自分の所有ではなく、主のものであり、主の主権がそこにあり、私は神のものを管理者として預かっているにすぎないという信仰があるからです。何か人間的なイデオロギーとか信念とかからでるものではありません。
私たちも、十分の一献金をもって、すべては主のものであるということをあらわせて頂いていることを感謝します。さらに神を主権者として歩む教会であり、個人でありましょう。
2013/6/16 説教者 杉本守