静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2013年03月17日 | 説教要約

「神の子なるキリスト」 マタイによる福音書26章57~68節

 レントの日々を祈り心をもって、主イエスを礼拝しましょう。

Ⅰ 不義な裁判にかけられたイエス

 ゲッセマネの祈りの後、イエスは捕らえられ不義な二種類の裁判にかけられました。それらは、宗教裁判と政治裁判です。大祭司であったアンナス、そして大祭司であるカヤパ、全議会とによるものであります。政治裁判は、ローマの総督ピラトによるものであります。どの裁判も偽証がなされ、矛盾した訴えがあり、不義な裁判でありました。人間の罪深さをみるのです。

Ⅱ 十字架に進まれるイエス

 主イエスは、ほとんどのことに黙していましたが、神としての自らを証言するときは、「生ける神の子キリストであり、再臨時には、神の右に座して天の雲に乗ってくると明言されました。そして、人を救うのは十字架に進み行くしかないことをあらわしたのです。

 主イエスが十字架に進まれたのは、あなたのためであり、わたしのためであります。

2013/3/17 説教者 杉本守

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天のマナ

2013年03月17日 | 天のマナ

 「神の民としてのキリスト者」

 約束の地カナンに導かれた神の民は、神が王である神政国家でありました。神の民は、神がお立てになった士師たちや預言者らを通して、神のみ心を知り歩んでいました。しかし、サムエル記になり、他の国々のように目に見える人間の王を求めるようになり、預言者サムエルに「神様にお願いして王を立ててほしい」としつこく何度も求めました。神はそこまで願う民に応え、サウルを神の民の初代の王として油を注いだのです。しかし、人間の王は不完全であり失敗をし、神のみ心から離れ民を救うどころか苦しめることがあったのでした。

 現在も、同じです。国を一つにまとめ、統制のとれた強い国家とするために、人であるのに神のように祭り上げられる者がいて、またそうしていこうという人間社会の現実があるのです。人はどこまでも人であり、弱い存在であります。私たちキリスト者は、誰よりも神に頼る者でありたいのです。

 2013/3/17

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