静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2013年03月24日 | 説教要約

「十字架による神の救い」 マタイによる福音書27章32~56節

 今週は、受難週です。主イエスが、十字架につけられたことを深く思いましょう。

Ⅰ 十字架を担う神の子イエス

 祭司長、律法学者、長老をはじめ、ローマ兵、道行く者そして共につけられた犯罪人たちからも、ののしられ、あざけられた主イエスは、十字架につけられました。「降りてみよ」との言葉に対して、十字架から降りることもできたはずの主イエスは、十字架から降りませんでした。それはなぜでしょう。もし、主イエスが十字架から降りたら、神の裁きは、そこにいた人々だけではなく、時間を越えて現代の私たち全てに及んだに違いありません。私たち人類に神の裁きが及ばないように、両手を広げて、神の裁きを一身に受けてくださっていたのです。

Ⅱ 神に捨てられた神の子イエス

 人類の罪を負い神のさばきを、私たちに代わって受けた主イエスは、父なる神に見捨てられたのです。父なる神に100%従い、人類の身代わりとなられた主イエスは捨てられたのです。それは、人類の罪を負ったからであります。このゆえに、私たちは赦されるのです。そして、この主イエスの十字架の死によって、聖なる神の臨在と罪深い人間とを隔てていた神殿の幕が裂けたのです。それは、誰もがいつでも神の前に近づけるようになったのです。

 主イエスの十字架による救いを感謝しましょう。

2013/3/24 説教者 杉本守

 

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天のマナ

2013年03月24日 | 天のマナ

「結婚を重んじる」 「すべての人は、結婚を重んずべきである。」(ヘブル13:4)

 「結婚式を挙げないで、入籍だけするカップルがある」ことを時々聞きます。その理由は、「忙しいから」とか「お金がないから」とかであるようです。「二人が結び合わされ、二人が一つである夫婦生活が結婚式によって始まる」ことが軽くみられてきています。結婚が始まる結婚式は、仕事よりも優先され、経済よりも優先されるほど大切なものであります。仕事は、人生の一時期でありますが、結婚する夫婦は生涯のものであります。結婚式の中心は、「誓約と宣言」であり、自分達や家柄の名誉や誇りを示ために、多くの人を招いた盛大なものとする必要ありません。だから、自分達のできる経済範囲ですべきであります。どうしてもお金がないならば、両方の家族と牧師の前で質素にすれば良いのです。では、なぜ結婚式をして夫婦となるのでしょうか。社会では、式典の良さとして「節目」をあげます。結婚式も、「この人のみを夫、妻とする」という自覚を深め、「この人のみを夫、妻とする」という決心を公に示す大切な節目であります。もっと大切なことは、結婚式の中で行われる「誓約と宣言」であります。二人が神の前に、列席の方々を証人として、「夫婦となること、夫婦として愛し合う」ことを誓い、「神によって夫婦である」ことを宣言されることが何より大切なのであります。

2013/3/24

 

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講壇の花

2013年03月24日 | 生花
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