「神のみ心のままに」 マタイによる福音書26章36~46節
最後の晩餐を終え、一同は賛美を歌った後、オリブ山のふもとにあるゲッセマネの園へ行きました。主イエスは特に、三人の弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)をそばに置き、祈り始められました。
Ⅰ 主イエスの願い
主イエスは、どんな嵐にも迫害にも誘惑にも恐れおののかない方でありました。しかし、ここで主イエスは、罪のない自らが、人の罪、人類の罪を負って罪人となることに対して、「悲しみのあまり死ぬほどである」と祈っております。それは、罪がどんなに汚れのろわれているものであるか、また罪に対する神の厳格な裁きを本当の意味で知っていたからであります。ですから、主イエスは、この杯(人間にかわり罪を負い十字架にかかること)を避けたいと祈られたのです。
Ⅱ 主イエスのさらに深い願い
十字架の道以外に人間を救える方法がなく、父なる神のみ心がそこにあると確認した主イエスは、自らの率直な願いより、さらに深い自らの願いである父なる御心に従うことを決断していくのです。十字架の前哨戦であるゲッセマネの祈りで勝利したからこそ、主イエスの私達の救いは成し遂げられたのです。
み手とみ足のみか心も裂けて、君は死に給いぬ わたしのため
2013/3/10 説教者 杉本守