静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2013年02月10日 | 説教要約

「躍り上がる喜び」 使徒行伝3章1~10節

 本日の午後にチャペル・コンサートが持たれます。ゲストと共に躍り上がる思いで主を賛美したいのです。この聖書の箇所にも踊りあがっり賛美した人が出てきます。それは主の恵みによって不自由な足が癒されたのでありました。

Ⅰ 愛による奇蹟

 多くの人が行き来する美しの門に彼は、施しを得るために座り求めていました。そこへペテロとヨハネが通りかかり、彼に目を注ぎ彼に声をかけるのです。それは、まさに主イエスがなされた愛の姿でありました。彼は足が癒されるという奥深い求めはすでにあきらめ、お金や食べ物などという一時的な求めになっていました。しかし、主イエスの愛をいただいていた弟子達は、彼に最も必要なものは金銀ではなく、彼が自分で生きて行けるようにしてあげることであることを愛によって察知していたのです。

Ⅱ キリストの名による奇蹟

 ペテロは、主イエスの名によって彼をいやし立たせました。この奇蹟は、ペテロ自身の自前の力ではなく、ペテロが「この人が治って、あなた方の前に立っているのは・・・イエス・キリストの御名によるのです」(使徒4:10)と言っているように、主イエスの名、主イエスご自身がここにいて彼に触れ癒してしたということであります。

Ⅲ 神に栄光を帰した奇蹟

 癒された彼の驚きと喜びは想像を越えたものでありました。彼は、この神の奇蹟に感謝し、神をほめたたえることを忘れていませんでした。ペテロとヨハネと一緒に、神に栄光を帰すために宮に入って礼拝をささげたのです。これは、神に対する彼の態度、彼の心の中にも変革が起きたといえるのです。肉体の癒しだけに留まらず、彼の内が変えられたのです。

 主イエスは、私たちを癒し救い、神をほめたたえる者として変えてくださるのです。変えられた者は神をほめたたえ、神に栄光を帰しましょう。

2013/2/10 説教者 杉本守

 

 

 

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天のマナ

2013年02月10日 | 天のマナ

 「かなぐり捨てる」   

 毎年、箱根駅伝を皮切りに、全国各所でマラソンが行われます。静岡市では3月に駿府マラソンが行われます。東京マラソンでは、面白いことに仮装ランナーが大勢います。気ぐるみを着たり、大きな帽子をかぶったりしています。彼らを見ていると一つ心配をしてしまいます。最初は楽しいかもしれませんが、すぐに走りづらさを感じ、「最後まで行けるのかな」と。

 信仰生涯は、よくマラソンに例えられます。パウロも「わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走ろうではないか」(ヘブル12:1)と言っています。またこの直前にパウロは、「いっさいの重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて」とも言っています。私達はいつの間にか、仮装ランナーのように走りにくい物をたくさん着けていないでしょうか?たくさんの重荷をこれもあれもと自分で抱え込み背負い込んで不安の穴に陥り、欲望により罪がからんでからんで縛られて身動きができなくなったりしてませんでしょうか?それらをまとめて一つの塊のように、こねてこねて圧縮して、主イエスに投げ告白し処理していただきましょう。かなぐり捨てるのです。

2013/2/10

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講壇の花

2013年02月10日 | 生花
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