「躍り上がる喜び」 使徒行伝3章1~10節
本日の午後にチャペル・コンサートが持たれます。ゲストと共に躍り上がる思いで主を賛美したいのです。この聖書の箇所にも踊りあがっり賛美した人が出てきます。それは主の恵みによって不自由な足が癒されたのでありました。
Ⅰ 愛による奇蹟
多くの人が行き来する美しの門に彼は、施しを得るために座り求めていました。そこへペテロとヨハネが通りかかり、彼に目を注ぎ彼に声をかけるのです。それは、まさに主イエスがなされた愛の姿でありました。彼は足が癒されるという奥深い求めはすでにあきらめ、お金や食べ物などという一時的な求めになっていました。しかし、主イエスの愛をいただいていた弟子達は、彼に最も必要なものは金銀ではなく、彼が自分で生きて行けるようにしてあげることであることを愛によって察知していたのです。
Ⅱ キリストの名による奇蹟
ペテロは、主イエスの名によって彼をいやし立たせました。この奇蹟は、ペテロ自身の自前の力ではなく、ペテロが「この人が治って、あなた方の前に立っているのは・・・イエス・キリストの御名によるのです」(使徒4:10)と言っているように、主イエスの名、主イエスご自身がここにいて彼に触れ癒してしたということであります。
Ⅲ 神に栄光を帰した奇蹟
癒された彼の驚きと喜びは想像を越えたものでありました。彼は、この神の奇蹟に感謝し、神をほめたたえることを忘れていませんでした。ペテロとヨハネと一緒に、神に栄光を帰すために宮に入って礼拝をささげたのです。これは、神に対する彼の態度、彼の心の中にも変革が起きたといえるのです。肉体の癒しだけに留まらず、彼の内が変えられたのです。
主イエスは、私たちを癒し救い、神をほめたたえる者として変えてくださるのです。変えられた者は神をほめたたえ、神に栄光を帰しましょう。
2013/2/10 説教者 杉本守