静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年12月09日 | 説教要約

「救い主を迎える」 ル化による福音書2章1~7節

 歴史上の出来事であるクリスマス、救い主の降誕の記事であります。人口調査は、人口を把握し課税台帳を作成し、税金(人頭税)を徴収するためであったと言われます。また、徴兵のためであったともいわれます。

Ⅰ 人知を超えた神のわざ

 預言された神の言葉の成就として真実な神は、神の独り子であるイエスを救い主としてこの世界に送りなさいました。神が人となられるという受肉も驚くべきことであり、またその方法、処女降誕も驚くべきことであり、人知を遥かに超えています。人間の想定外は、神の知恵の深さなのであります。

Ⅱ 人知を超えた神の恵み

 救い主を待ち望んでいた人々はたくさんいましたが、救い主を迎え拝することが出来た人々は少しでありました。迎えられなかった人たちは、救い主をお迎えするスペースを空けていなかったのです。日常の忙しさ、自らのプライドへの固執が邪魔をしたのです。しかし、救い主を迎えた羊飼いや博士達は、謙り神の言葉を受け入れすぐに行動したのです。「私達は自分の生活の中で、主のためにどれほどの場所を生み出しているか」が常に問われるのです。場所を空けていないと神の恵みは、満ちることができません。礼拝、デボーション、奉仕などどうでしょうか。

 主イエスを迎え入れるスペースをあけて、救い主を今日も迎えましょう。

 2012/12/9 説教者 杉本守

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天のマナ

2012年12月09日 | 天のマナ

「クリスマスの鐘」という絵本を読んだことがあります。

 昔々、アメリカのある町に大きな教会がありました。高い塔があり、立派な鐘がつるされていましたが、鐘の音を聞いた人はありませんでした。「今年のクリスマスこそは、あの鐘が鳴る音が聞けるかなあ?」と町の人たちは期待していました。さて、この町のはずれの小さな村に、ペドロという男の子と弟がいました。二人ともにぎやかなクリスマスを楽しみに教会へ向かっていました。町の入り口に着いた時、二人は女の人が倒れているのを見つけました。このままほっておいては死んでしまうので、ペドロはポケットから銀貨を取り出すと、弟に差し出し、「一人で教会へ行って神様にささげなさい」と言いました。教会にはたくさんの人が来ていて、素晴らしい贈り物をして、鐘を鳴らそうとしていましたが、鐘は鳴りません。最後に王様が、金の冠をささげましたが、それでも鳴りません。人々があきらめた時、鐘が鳴り響いたのです。誰が鳴らしたのかと皆が振り向くと、ペドロの弟がはずかしそうに立っていました。

2012/12/9

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講壇の花

2012年12月09日 | 生花
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