「心の目を覚ましていなさい」 マタイによる福音書25:1~13
マタイ24章は小黙示録と呼ばれ、終末の前兆、再臨、終末の出来事が記されていました。25章で主イエスは、突然の到来に対する備えを三つのたとえであらわしています。この24,25章を通して、主イエスは、弟子達に世の終わりと救いの完成、そして再臨を待ち望む信仰を手渡しましたのです。本日は、十人のおとめからみ言葉に聴きましょう。
Ⅰ 天国は喜び
天国は喜びであります。それは、婚宴に譬えられているからです。ですから、終末は、神を信じて救いにあずかったキリスト者にとっては、主イエスをお迎えする喜びの時です。栄光の体を頂き携挙され、小羊の婚宴に迎え入れられるのです(「小羊の婚宴に招かれた者は幸いである」(黙19:6~9)。ですから、マラナタ(主よ、来たりませ)という信仰をもって待ち望みたいのです。
Ⅱ 心の目を覚まして待つ
その待ち望みかたは、ここに出てくる 思慮深いおとめたちのようでありたいのです。主の再臨が、いつになるかわからないので、いつになっても良いように、突然来てもOKという日常にあって目を覚ましている信仰を持ち続けたいのです。再臨を信じないキリスト者はいないでしょうが、「まあどうにかなるという信仰」であってはいけません。
いつも心の目を覚まし、主なる神に真実に従って歩みたいのです。
2012/11/18 説教者 杉本守