静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2012年11月04日 | 天のマナ

 「慰めの器となるために」

 社会人一年生の娘を見ていると、「鍛えられているなあ」とつくづく思います。社会人一年生にとって、厳しい社会に飛び込んだのですから、苦労し時には失敗し怒られることでしょう。一年生でなくても、厳しい社会に生きる私達は苦労します。私達は、成功や穏やかな生活を望みますが、時には失敗をし、不幸と思えるような出来事にもあいます。成功や穏やかな生活は良いことで、失敗や不幸と思えるような出来事は悪いことと考えがちですが、失敗や不幸と思えるような出来事も私達人間を育てるのではないでしょうか。

 「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」(コリント第二の手紙1章4節)とあるように、患難を経験した者は、患難を経験している者の思いを受け止めることができ、慰め励ますことができるのです。主の支えの中で、主の栄光をあらわす器にされていきましょう。

2012/11/4

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