静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年10月21日 | 説教要約

「世の終わりが来る」 マタイによる福音書24章1~14節

 これから先の世界はどうなるのでしょうか。世の多くの者たちが「予言」し、多くの人々の興味をかき立て、不安を煽っています。それでは聖書は何といっているのでしょうか。聖書の「預言」は、神からの言葉であり確かであります。

Ⅰ 世の終わりの前兆

 イエスは弟子達の質問に答えました。エルサレムの滅びとイエスが再臨される世の終わりの前兆についてです。本日は、世の終わりの前兆を語ります。

 世の終わりの前兆は、偽キリストが出現し、世界的な国家秩序が混乱(戦争)し、自然秩序も混乱(飢餓、地震)し、キリスト者への迫害が起こり、教会内にも混乱が生じるということです。さらには、福音がすべての民に対して証しさていくということです。そして終末が来るのです。

Ⅱ 最後まで耐え忍ぶ

 その中でクリスチャンはどうしたら良いのでしょうか。「最後まで耐え忍びなさい」とあります。「最後まで」とは、世の終わりが来る時までであります。あるいは自分の地上におけるいのちの最後までであります。「耐え忍ぶ」とは、単に災いが過ぎ去るまで我慢するという消極的なことではなく、積極的に愛すること、主に従うこと、信仰の旗印を掲げ続けしっかり立ち続けることであります。主はそうした者を全く救われるのであります。

 最後まで耐え忍ぶ信仰をもって、終末を迎えるこの時代に歩み続けたいのです。

2012/10/21 説教者 杉本守

 

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天のマナ

2012年10月21日 | 天のマナ

 「成熟した者へと」    

 「神はキリストの福音によって罪と死の解決をしてくださったのに、なぜ、困難や試練を残すことを許されたのだろう」と時々考えます。神の答えはきっと広く深く、人間の私達にはほんの一部しか地上ではわからないかもしれません。すべてが明らかになるのは、神の国に入れさせていただいた時でありましょう。楽しみで仕方ありません。ここではわたしなりに、人生の歩みの中で考え経験し気付かされたことを、二つあげさせていただければと思います。

 一つ目は、それらの困難や試練は、人間自身の弱さを知らせ認めさせ、全能の神に向けさせるために神は残されたのではないかということです。人は、それらによって自らの弱さを知り、神に頼るのであります。

 二つ目は、それらの困難や試練は、訓練や鍛錬となり人間自身を育てあげてるからです。喜びや楽しさだけが人間を育てるのではなく、困難や試練も人間を育てるのです。 「それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(ヘブル12:11)

2012/10/21

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講壇の花

2012年10月21日 | 生花
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