静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年10月07日 | 説教要約

「神の愛の御翼の下に」 マタイによる福音書23章25~28、37~39節

 マタイ5章の主イエスの山上の説教は、「~はさいわいである」の連続と対照的に、この章では、「~はわざわいである」の連続であります。なぜ、主イエスは、パリサイ人たちや律法学者達を非難したのでしょうか。

Ⅰ 神の愛を拒む者たち

 エルサレムは神の都で神殿があり、神の民はそこで礼拝をささげていましたが、主イエスは擬人法を使い、エルサレムを嘆きました(37)。それは、エルサレムに住む神の民の指導者達(パリサイ人や律法学者)を始め、神の民達も神に従わず自己欲に生きていたからです。神の祝福を受けて来ながら、神に逆らい神の裁きを自ら招いていたのです。

Ⅱ 神の愛の翼の中へ

 ただ単に主イエスは、彼らを弾劾したのではありません。神は、神の愛と赦しという翼を広げて、その翼の下に来るようにと、預言者だけではなく神の独り子救い主イエスご自身を送り、彼らを神の裁きから守ろうとしたのです。しかし、それをも彼らは拒んだのです。その故に、彼らは神の裁きを受けるとイエスは涙を流したのです。AD70年、エルサレムはローマによって滅ぼされます。

 今の時代、神の愛の翼が広げられています。あなたは、その下におられるでしょうか?イエスを救い主と信じ神に立ち返り、神の愛の御翼のもとにあり続けましょう。

2012/10/7 説教者 杉本守

 

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天のマナ

2012年10月07日 | 天のマナ

「あなたがたはわたしの手のうちにある」(エレミヤ18:6)  「谷間の泉」(カウマン夫人著)より参照

 世界で最も有名なバイオリンニスト、オーレ・ブルは、かつて放浪したことがありました。彼は森の中で道に迷い、偶然、隠者の住む丸太小屋を見つけ、そこの老人に迎え入れられました。その年老いた隠者は、キーキーと音がする使い古したバイオリンで、粗削りの曲をつまびきました。オーレ・ブルは、「わたしにそれを弾かせてもらえますか?」と。隠者は、「いや、無理だろう。わたしが弾けるようになるのに、何年もかかったのだから・・・」と答えました。オーレ・ブルは、そこの古い壊れかかったバイオリンを取り、弓を弦に当てました。すると突然、小屋は天上の音楽で満ちました。それを見て隠者は、子供のようにむせび泣きました。

 わたしたちは、時に自らを使い古した楽器、命の弦は切れ、命の弓は折れ曲がっているかのように感じます。しかし、わたしたちが、神に取り上げられて触っていただくならば、わたしたち自身から、響き渡る音楽が生み出されるのであります。天国のオーケストラから迷い出る必要はないのです。主人(主イエス)の手には古い傷跡(十字架の傷跡)が残っています。その手は、壊れたものを直すことができるのです。

2012/10/7 

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講壇の花

2012年10月07日 | 生花
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