「神の愛の御翼の下に」 マタイによる福音書23章25~28、37~39節
マタイ5章の主イエスの山上の説教は、「~はさいわいである」の連続と対照的に、この章では、「~はわざわいである」の連続であります。なぜ、主イエスは、パリサイ人たちや律法学者達を非難したのでしょうか。
Ⅰ 神の愛を拒む者たち
エルサレムは神の都で神殿があり、神の民はそこで礼拝をささげていましたが、主イエスは擬人法を使い、エルサレムを嘆きました(37)。それは、エルサレムに住む神の民の指導者達(パリサイ人や律法学者)を始め、神の民達も神に従わず自己欲に生きていたからです。神の祝福を受けて来ながら、神に逆らい神の裁きを自ら招いていたのです。
Ⅱ 神の愛の翼の中へ
ただ単に主イエスは、彼らを弾劾したのではありません。神は、神の愛と赦しという翼を広げて、その翼の下に来るようにと、預言者だけではなく神の独り子救い主イエスご自身を送り、彼らを神の裁きから守ろうとしたのです。しかし、それをも彼らは拒んだのです。その故に、彼らは神の裁きを受けるとイエスは涙を流したのです。AD70年、エルサレムはローマによって滅ぼされます。
今の時代、神の愛の翼が広げられています。あなたは、その下におられるでしょうか?イエスを救い主と信じ神に立ち返り、神の愛の御翼のもとにあり続けましょう。
2012/10/7 説教者 杉本守