静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2012年10月14日 | 天のマナ

「イエス様を置き去りにしていませんか?」    

 人と人との関係は、人格的な交わりです。人と人形や人と人工頭脳(コンピューターなど)といわれるものの関係は人格的な交わりではありません。神は人を人格者として創造されました。人格とは、知恵、感情、意志などの心だけではなく、もっと深い霊的なことも含まれることと考えます。神が人に与えてくださった人格は、神が人を愛し特別に下さったもの(神のかたちに)であります。ですから、人と人とは人格的な交わりができるのです。

 人格的交わりは、さまざまな方法や表現を持ってなされます。会話、同じ体験する行動、そして感情を共に(共感)することなどの中でのやりとりです。しかし、やりとりがなく一方通行だったら、人格的な交わりとはいえず、寂しさや空しさが残るでありましょう。

 神と私達の関係も人格的な交わりです。あなたは主イエスを知りたいと求めていますか?愛していますか?従っていこうとしていますか?主イエスと深い霊的な交わりをしていますか?主イエスはあなたと人格的な交わりをしたいと切に望んでいます。

2012/10.14

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主日礼拝説教要約

2012年10月14日 | 説教要約

「神との麗しい関係」 詩篇63篇1~11節

 「好きで好きで気を失うほどになる、人格的な魅力気に気を失うほどになる」という経験をお持ちになったことがありますか?恋や尊敬を遥かに越えた思いでダビデは主なる神に対して、「わたしはあなたを慕いこがれる(新改訳では、気を失うばかり)」と言っています。

Ⅰ 神を慕い焦がれる

 ダビデは神を全身全霊(全存在)で慕っています。神を切に求めています。その思いは、神に対する礼拝となります。神殿での礼拝、さらには家においても神を深く思います。

Ⅱ 神との交わりの中で

 神はその求めを喜び、慕い焦がれる者を豊かに満たします。神との交わりにより、彼の魂は飽きたり満たされるのです。彼は神の満たしを経験し、神の翼のかげにあり、神を喜び歌っています。

 主イエス様と人格的な交わりを疎かにしていないでしょうか?神との麗しい関係にありますでしょうか?「私の魂は神にすがりつき、あなたの右の手(全権)はわたしを支えられる」との経験をさせていただきましょう。

2012/10/14 説教者 杉本守

 

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講壇の花

2012年10月14日 | 生花
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