静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日説教要約

2012年06月17日 | 説教要約

「必要とされる喜び」 マタイ21:1~11

 この箇所は、主イエスの十字架に向かうエルサレム入場です。なぜ、主イエスは馬にではなく、子ロバに乗って行かれたのでしょうか。

Ⅰ 子ろばを用いた主イエス

 主イエスがろばに乗られた理由は、預言の成就でした。ゼカリヤ書9章9節にメシヤ預言があり、それはメシヤはろばに乗って来られるという内容です。また、馬が軍人が乗り力の象徴であると考えられ、ロバは平和、柔和の象徴である思われていた時代です。救い主イエスは、武力によってではなく、受難(十字架)によって救いをもたらす、平安と平和をもたらす方として来られたことを示すためであったのです。

Ⅱ 主イエスをお乗せした子ろば

 主イエスは、子ろばを必要とされました。「主がお入用なのです」。この子ろばは、まだ訓練されていないろばです。初めて人を乗せるのです。しかし、主イエスはその子ろばを必要とされました。子ろばも、群集が騒ぐ中、初めての経験でしたが、主イエスをお乗せしてエルサレムまでの3、4キロへ向かったのです。

 あなたは誰を乗せ、誰を遣わされた場にお届けしているでしょうか?主はあなたを必要とし、「あなたにわたしを届けてほしい」と願われています。「主イエス様、どうぞお乗り下さい。主イエス様を遣わされていく家庭、職場、学校、地域にお届けしたいのです。」と祈ろうではありませんか。

2012/6/17 説教者 杉本守

 

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天のマナ

2012年06月17日 | 天のマナ

「希望は失望に終ることはない」(ローマ書5章5節) 

 先週は、教会図書にある「ライフライン」を20放送ほど観ました。どの放映に出てくるキリストの証人の方々も、素晴らしい主イエスとの出会いがあり人生が変えられたことを語られ、私は多くの主の恵みをいただきました。

 その中の一つで、「希望に向かって」という題で放映されたひとりの兄がおられます。兄弟は、青少年生活就労自立サポートセンターで、ひきこもりの人たちのニーズにあわせた支援をしておられます。自らも5年間のひきこもりの経験の中、あるクリスチャンが一年をかけて訪問してくださり、その後、教会へ行かれ牧師に今までの話をしました。牧師からは同情の言葉が返ってくると思っていましたが、「あなたの経験は決して無駄ではない。それは神様があなたに与えた計画なんだから、きっとこれから何かあるから、それが何か一緒に祈っていきましょう」と言われた。その後、教会へ通い、まず自分の存在が神に造られた尊いもので、神に認められていることに気付き変えられていった。

 ひきこもりからの回復は、本人が認められ自信をつけることだと言われます。周りは当人の小さな行動をも認めることであり、本人は人の役に立ち必要とされていることを感じることです。そして何よりも、自分の存在を神に尊いと認めていただいていることに気付くことです。

2012/6/17

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講壇の花

2012年06月17日 | 生花
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