静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年03月18日 | 説教要約

「互いに愛し合いなさい」 マタイによる福音書26章26~29節

 新来会者の方々が多く集われていますので、伝道メッセージを語るように導かれています。

Ⅰ 救いにあずかる

 人生という旅の中で、重荷は何でしょうか?人間関係、事業、病気などそれぞれ違うかもしれません。しかし、どの時代、そして全世界の誰でもが持っている重荷があります。それは一番重いものであり、それは罪と死の問題です。主イエスはこの重荷を負ってくださり、罪を赦し、永遠の命を与えて救ってくださるのです。主イエスは救い主としてそのために来たのですから。

Ⅱ 神の国へ入る

 主イエスによる救いを受けた者は、肉体の死がきたらどうなるのでしょうか。肉体は土に帰り墓へ、霊は神の懐、神の国の庭(パラダイス)で憩うのです。そして主イエスの再臨の時に、憩いから覚め、永遠の栄光の体をいただき、神の国の門が開かれ神の国に入るのです。決して修行をしたり無になるのではありません。

 なんと幸いでしょうか。信じる者に主イエスは、十字架と復活によってこの救いを与えられているのです。最後の晩餐での、パンと杯はそのことの新しい契約であり、聖餐式において私たちはその恵みにあずかり続け確認していくのです。

 2012/3/18 説教者 杉本守

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天のマナ

2012年03月18日 | 天のマナ

 「十字架による以外に救いはなし」

 どの時代にもどの世界の国でも、人々は神を求めています。創造者なる真の神を知らず認めない人達は、自分の願いをかなえる為に、自分の考えにあった神々(偶像)を作り出します。ある人は、自然を神としたり、過去の偉人を神としたり、空想の理想像を神とします。動物さえも神として祭られています。また、無神論ということを主張する人であっても、実は自分を神としているのです。また、人々は救いを求めています。神のひとり子である救い主イエス・キリストが、全人類を罪と永遠の滅びに対して、十字架と復活によって人の救いをなした福音を知らない人達は、福音のかわりに他のものによって救いを得ようとします。それは多くの場合、人間の行いによる自力救済であります。善行や修行、イデオロギーやヒューマニズムなどであります。これらのものは、人間的な助け合い、慰めや励まし、鍛錬などには有益なことかもしれませんが、全ての人が抱える罪と罪の結果である永遠の滅びの解決とはなりません。これらからの救いは、イエス・キリストの福音しかないのです。 

 「この人(イエス)による以外に救いはない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。」(使徒行伝4:12)

2012/3/18

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講壇の花

2012年03月18日 | 生花
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