静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2012年03月11日 | 天のマナ

 「キリスト者の戦い」

 私たちキリスト者の戦いは、誰に対する戦いでしょうか?何に対する戦いでしょうか?国家、民族、人との戦いではありません。私たちの戦いは信仰の戦い霊の戦いであり、サタンとその手下の悪霊達に対する戦いで、罪と世俗、不信仰に対する戦いであります。サタンの攻撃は激しく、それは関係を壊す戦法です。サタンは、神と人の関係を壊し、人と人との関係を壊しにかかります。神に対する不信仰と不信頼を起こさせ、人への恨み妬み憎しみを沸き立たせようとするのです。

 私たちキリスト者は、どのようにしてサタンの攻撃に勝利することができるのでしょうか。エペソ6章10節~20節によると、「主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい」とあります。神の武具とは、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備えを足にはき、信仰の盾、救いの兜、御霊の剣、神の言、御霊によっての祈りであります。準備はできていますか。遣わされていきましょう。

2012/3/11

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主日礼拝説教要約

2012年03月11日 | 説教要約

「悔い改める者を赦す神」  マタイによる福音書26章31~35節

 受難節に入るこの日、裏切っていく弟子達に対する主イエスの愛をみていきましょう。

Ⅰ 裏切った弟子達

 弟子を代表するペテロ、そしてイスカリオテのユダらの弟子たちは、主イエスを裏切りました。ペテロもユダも同じく自分の罪を認め悔いたのです。しかし、二人のその後が違いました。ユダは自殺し、ペテロは赦され新たに使命をいただき用いられていきます。それは、負いきれない罪と罪過を認めながらもユダは主イエスにゆだねなかったのです。しかし、ペテロは主イエスに罪と罪過をゆだねたのです。主イエスに負っていただいたのです。どんなに後悔しても、あるいは善行や修行をしても人間には罪の解決はなく、自己救済もないのです。救い主イエスによる救いをいただくしかありません。

Ⅱ 悔い改めた者への神の恵み

 神に前に再び出たペテロ、悔いるだけれはなく、罪を主イエスにゆだね神に立ち返った彼に対して、主イエスは彼の罪を負い、彼を赦し立ち上がらせ、再召命を与えたのであります。ペテロは生涯をかけて主イエスの救いを伝える者とされたのです。

 自分の罪を認め、悔いたならば、自分で負うとせず、主イエスに負っていただきましょう。そして方向転換をし、主の恵みの中で歩んでいきましょう。

 2012/3/11 説教者 杉本守

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講壇の花

2012年03月11日 | 生花
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