静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2011年07月24日 | 説教要約

「教会に溢れる神の恵み」 詩篇45篇1~17節

 この詩篇は、王の結婚式の時に歌われた「愛の歌」と言われています。文字的には王と花嫁の結婚を祝福している歌ですが、霊的には王は救い主イエスを指し、花嫁は教会を指しているとみることができます。

Ⅰ 主への賛歌と祝福(2~9)

 王の姿が、2~7節に記されています。王は、雄々しく勇者であり尊厳と威厳に満ち、神から油注がれた者であることがうたわれています。まさしく救い主イエスは、真の油注がれたメシヤ(救い主)であることが、ヘブル書1章8~9節にこの6、7節の成就として記されています。

Ⅱ 教会への賛歌と祝福(10~15)

 この花嫁は、結婚の為に父と母の家を離れ、ただ王である夫に信頼し、身も心も委ねる従うことが勧められています。そして、王のもとに行く花嫁の喜びがうたわれています。まさしく、これは教会の姿であります。教会は主キリスト・イエスの花嫁であり、キリストの再臨の時にキリストの花嫁として迎え入れられるのです。私たちはこの教会に属し、主イエスのもとに行く喜びと祝福の中にあるのです。

 主イエスが来られる日まで、私たちは主イエスを信じ続け、共にこの主が満ち満ちている教会の中に身を置き、歩んでいきましょう。

2011・7・24 説教者 杉本守

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2011年07月24日 | 天のマナ

 「火を通される恵み」 「神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物として」(ロマ12:1)

 

 先週の台風が接近する中、第60回の教団夏季聖会が箱根で持たれました。「きよめ」のメッセージが、最

初の聖会から語られました。先日、祈祷会でメッセージされた同じイザヤ書6章のイザヤの召命の経験の箇

所でした。そのメッセージの中で、「賜物をいただいている者は火を通されないといけない」という言葉が心に

残りました。

 私たちは主なる神より賜物を各自いただいていて、神の奉仕のために用いています。賜物自体

は素晴らしい神からの贈り物ですが、それを用いる私たちが聖霊の火を通され、きよめられないといけないと

いうことです。そうしないと、神の賜物を用いて奉仕をすることが、自己満足や自己実現のためだったり、人

の評価を期待したりするために使われてしまうからです。このような奉仕には平安がありません。評価される

と高慢になり、評価されないと卑下するからです。

 本来、主の賜物、賜物を用いての奉仕は、自らの栄光のためではなく、神の栄光をあらわすためのものだか

らです。火を通されていきましょう。

 

2011/7/24

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2011年07月24日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする