「火を通される恵み」 「神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物として」(ロマ12:1)
先週の台風が接近する中、第60回の教団夏季聖会が箱根で持たれました。「きよめ」のメッセージが、最
初の聖会から語られました。先日、祈祷会でメッセージされた同じイザヤ書6章のイザヤの召命の経験の箇
所でした。そのメッセージの中で、「賜物をいただいている者は火を通されないといけない」という言葉が心に
残りました。
私たちは主なる神より賜物を各自いただいていて、神の奉仕のために用いています。賜物自体
は素晴らしい神からの贈り物ですが、それを用いる私たちが聖霊の火を通され、きよめられないといけないと
いうことです。そうしないと、神の賜物を用いて奉仕をすることが、自己満足や自己実現のためだったり、人
の評価を期待したりするために使われてしまうからです。このような奉仕には平安がありません。評価される
と高慢になり、評価されないと卑下するからです。
本来、主の賜物、賜物を用いての奉仕は、自らの栄光のためではなく、神の栄光をあらわすためのものだか
らです。火を通されていきましょう。
2011/7/24