「罪がゆるされた」 詩篇32篇1~11節
この詩篇は、深刻な認罪と苦しみを通って、真実な罪の告白をし、その故に得られた全き赦しの経験をうたっています。この内容を通して神のみ心を知りましょう。
Ⅰ 罪ある人間
聖書は、「義人はいない。ひとりもいない」と人間はすべて罪人であるといいます。罪とは、「的外れ」であります。神に造られて神に従う時に真の平安を持つ人間が、神から離れ神を認めず、自らを神とする自己中心の歩みが的外れというのです。その結果、さまざまな罪を犯し、人間関係の混乱と自らの人格の破壊がもたらされ、最終的には神に裁かれ永遠の滅びにあうのです。誰がこの罪と罪の結果から救い出して下さるのでしょうか?
Ⅱ 神により罪赦された喜び
この詩篇は、悔い改めの詩なのに、最初の言葉は、「幸いな者よ」という歓喜で始まっています。なぜなのでしょうか。この詩人は、自分の罪深さと罪の結果である状況をよく知っていました。しかし、彼は自分の罪を隠していた時は苦しんでいたが、神の前に全てを告白した時、悔い改めた時、神の圧倒的な権威ある赦しを受け、神との関係が回復し、神の命が流れ込み義とされたのでした。そのことを歓喜しているのであります。
あなたの罪は解決されていますか? 神はどんな罪をも赦し、その罪責から解放してくださる方であります。そのために神のひとり子なる救い主イエスが、あなたの罪を負って十字架に身代わりに掛かられたのですから。「Oh Happy Day!」
2010.10.24 説教者 杉本守