静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2010年09月12日 | 天のマナ
 「リバイバルを」

 「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」(第二テモテ1:7)

 二日前の夜、一人の青年の兄弟が、奉仕の関係で教会に来られました。彼と話していく中で、彼はまじめに「先生、もうすぐリバイバルが起こりますよ」と語ってくれました。その時、わたしは少しドキッとしたのでした。その一瞬、「わたしはリバイバル(キリスト教で、信仰の原点に立ち返ろうとする運動。18世紀英国のJ=ウェスレーによるメソジスト運動、1870〜90年代のD=ムーディによる全米的大衆伝道などの例がある。信仰復興。ホーリネス教団も二度経験している)が起こるのを本気で信じているのだろうか」という自問を受けたからです。

 兄弟へのわたしの返答は、「そうだね。起こるね。」でした。さまざまな思いが過ぎりましたが、返答は信仰によるものでした。 

「主の御霊よ 触れたまえ わが心に 主の教会に 雨を降らせ リバイバルを 来たらせたまえ この地の上に」

2010/9/12
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主日礼拝説教要約

2010年09月12日 | 説教要約
「主イエスよ 信じます」 マタイによる福音書9章27~34節

 二人の盲人の癒やしを通して、主イエスのみ言に耳を傾けましょう。

Ⅰ 主イエスを信じるか
 二人の盲人は、主イエスが近くにいるのを知ると、「ダビデの子よ。わたしたちをあわれんでください」と大声で叫び、主イエスのあとをついて行きました。ここに二人の真剣で且つ継続的な求めをみるのです。
 この二人に主イエスは、「わたしにそれができると信じるか」と問いました。直級な問いかけです。「それ」とは、目が開かれ見えるようになることです。彼らは今まで見えない歩みを現実に続けていました。この言葉に本当に信仰が問われます。

Ⅱ 主イエスを信じます
 彼らはたじたじになり言葉を失ってしまったかというと、そうではありませんでした。すぐに、主イエスは病を癒やすことができる方であり、その力を持つメシアであることを信仰によって表明します。「主よ。信じます」と。
 主イエスの力は、信じる器に流れ出て、神の癒やしのみ業を彼らのうちになし、彼らは見えるようになったのでした。主イエスが彼らのうちに信仰を与え、彼らのうちから信仰を引き出されたのでした。

 わたしたちも信仰が与えられています。その信仰を主イエスに引き出していただき、主のみ業を体験させていただきましょう。

2010/9/12 説教者 杉本守 
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講壇の花

2010年09月12日 | 生花
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