「わたしは決して動かされない」詩篇30篇1~12節
この詩篇は、ある重病の詩人が、その瀕死の病から癒やされた時の感謝の歌であります。
後に、その内容から、個人的なことにも国家的なことにも用いられるようになりました。
この詩から共に主のみ言を聴きましょう。
Ⅰ 主を崇めほめたたえます
詩人は、まず1~3節で癒やされたことの感謝を詩っています。その病は重く、沈みかかっていた死の世界から、神によって引き戻された感謝であります。詩人はその喜びを自らだけではなく、他の聖徒たちにも加わり、共に賛美をささげることを呼びかけています。「主の懲らしめはつかのまであり、神の祝福は永遠である」ことが詩われています。
Ⅱ 主をほめたたえる理由
この詩人はどうして病になったのでしょうか。それが6節以降にあります。自分の不信仰の失敗を体験として告白しています。それは、彼の信仰が自己中心的なものになり、「わたしは決して動かされない」と告白しているのです。「主の恵みを自分のために限定し、自分が満足すればそれでよい」というものでした。ですから、主は懲らしめの意味で病を詩人を置かれました。
主の恵みは、その者だけが満たされるだけではなく、あふれ出て隣人にも流れるものであります。恵みを分かち合うことが必要なのです。そこでこそ、本来の「わたしは決して動かされない」になるのです。詩人はそれに気づいたのです。
わたし達は、主の恵みに慣れてしまい、油断してあぐらをかき、独り占めにしてしまってはないでしょうか。主の恵みも賛美も分かち合うお互いでありたいのです。
2010/9/19 説教者 杉本守
この詩篇は、ある重病の詩人が、その瀕死の病から癒やされた時の感謝の歌であります。
後に、その内容から、個人的なことにも国家的なことにも用いられるようになりました。
この詩から共に主のみ言を聴きましょう。
Ⅰ 主を崇めほめたたえます
詩人は、まず1~3節で癒やされたことの感謝を詩っています。その病は重く、沈みかかっていた死の世界から、神によって引き戻された感謝であります。詩人はその喜びを自らだけではなく、他の聖徒たちにも加わり、共に賛美をささげることを呼びかけています。「主の懲らしめはつかのまであり、神の祝福は永遠である」ことが詩われています。
Ⅱ 主をほめたたえる理由
この詩人はどうして病になったのでしょうか。それが6節以降にあります。自分の不信仰の失敗を体験として告白しています。それは、彼の信仰が自己中心的なものになり、「わたしは決して動かされない」と告白しているのです。「主の恵みを自分のために限定し、自分が満足すればそれでよい」というものでした。ですから、主は懲らしめの意味で病を詩人を置かれました。
主の恵みは、その者だけが満たされるだけではなく、あふれ出て隣人にも流れるものであります。恵みを分かち合うことが必要なのです。そこでこそ、本来の「わたしは決して動かされない」になるのです。詩人はそれに気づいたのです。
わたし達は、主の恵みに慣れてしまい、油断してあぐらをかき、独り占めにしてしまってはないでしょうか。主の恵みも賛美も分かち合うお互いでありたいのです。
2010/9/19 説教者 杉本守