静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2010年08月08日 | 説教要約
「祈りを聞かれる神」 詩篇28篇1~9節

 この詩篇は祈りの素晴らしさを詩っています。この詩篇には三種類の「手」がでてきます。一つは「私の手」(2)、二つ目は「悪を行う者の手」(4)、最後に「主の手」(5)です。こられらの「手」を追いながら御言葉を取り次ぎます。

Ⅰ 祈り求める者
 「私は手をあげる」とは祈りの姿であります。変わらない岩なる主に向かって祈っています。なぜ祈るのでしょうか。それは主が恵みの主であり、主の御手のわざを知っているからであります。悪者は主のなさること、主の御手のわざを知りません。

Ⅱ 祈りに応える神
 詩人は祈りの中で、主に向かって手を差し伸べて祈ります。主の御手が詩人に触れ、詩人は祈りが聞かれたことを確信するのです。「聞かれた」は完了形です。ですから7節にあるように、助けを得たので詩人の心は大いに喜び、主をほめたたえています。

 私達信仰者の手のわざは、何よりも祈りのわざでありたいのです。主は応えてくださる方です。

2010/8/8 説教者 杉本守
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天のマナ

2010年08月08日 | 天のマナ
 「富士山登山は楽しい」

 先週の4日(水)に、二人の兄弟と3人で富士山の登山に行ってきました。晴天の空の下、登山客がたくさんいる中、朝8時半に富士宮口5合目から登山開始、昨年は夜中の登山で8合目寸前で断念しましたので、今回の第一目標は8合目、最終目標は頂上としました。始めは賛美、そしてすれ違う人とあいさつや会話がありましたが、7合目、8合目、9合目と登り進めるにつれ、私の口からでるのは「はあ、はあ、はあ」という荒い呼吸、「ああしんどい」「休みましょう」「まだここまでか」という言葉に変わってきていました。しかし、行きの車の中で聞いたメッセージテープから教えられた「まだここまで」という消極的な言葉ではなく、「もうここまできた」という積極的な言葉を兄弟達からかけられ、励まされました。

 第一目標の8合目を通り過ぎ、9合目に至った時は嬉しさを三人で分かち合いました。思ったよりも時間が進み、このままでは下山が暗くなるので、ライトを用意していなかったこともあり、今年は9合目で下山し5合目に着いたのは夕方6時になっていました。長丁場の登山は、信仰生涯にたとえられます。一人ではなかなか難しい登山も、仲間がいるととても励まされていけます。信仰生活も神の国を目指して、兄弟姉妹と共に励ましあい支えあって歩めることを感謝いたします。 

 「互いに励まし合いなさい。」(第二コリント13:11)

2010・8・8
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講壇の花

2010年08月08日 | 生花
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