静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2010年08月22日 | 説教要約
「主なる神を崇めよ」詩篇29篇1~11節

 この詩篇は、真の神の偉大さを詩っています。

Ⅰ 神の御声の力強さ
 イスラエルの雨期は、秋と春です。長い夏が終わりを告げる頃、西の空に雷鳴が鳴り轟きます。それは天地を切り裂くほどの稲光で、大地を揺り動かす雷鳴となります。神の御声はまさしくそのようなものであり、力と威厳がありのです。どんな不動のものであっても、神の御声が語られると動いてしまうほどです。

Ⅱ 神の御声の恵み深さ
 詩人は雷鳴に神の御威光だけではなく、恵みの到来も読み取っています。雨期は雷鳴と共に訪れるからです。地が潤います。そのように、神の御声は祝福の合図で、力と平安を与えるのです。だから、この詩人は、「主に栄光を帰せよ」と詩っているのです。

 私達も、魂が乾期の時こそ、主をお迎えしこのような主の御声を聞こうではありませんか。

2010/8/22 説教者 杉本守
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天のマナ

2010年08月22日 | 天のマナ
「内にいてくださる主イエスによって」
 
 大島中高生キャンプで豊かな恵みをいただきました。キャンプファイヤーで一人の子が次のように恵みを分かち合ってくれました。「今まではイエス様を伝え、友達を教会に導くことに力んでできなかったけど、力むのではなくて、祈っていればイエス様が伝えてくれて教会に導いてくれることを教えられました」と。

 私達は、主イエスを信じた時、罪赦され義とせられ、神の子とせられ、永遠の命(新しいいのち)をいただいたのであります。永遠の命とは、主なる神イエスとの関係が回復し、主イエスが私達の内に住んでくださっていることです。私達の力や経験や知恵は、ほんの少しで限りがあります。その自分で物事を握りしめやろうとするから失敗するのです。そして自分を責めます。仮に成功しても自分でやったと高慢になります。

 私達の内には主イエスがいてくださるのです。私達は大いにこの方に期待いたしましょう。私達自身にでなく、私達の内にいて下さる主イエス様にです。私達にはできないことをまず認め、私達の内にいてくださる主イエスによって、できない者ができる者とされていく体験をさせていただきましょう。これが信仰の世界であり神の恵みの世界なのです。

「キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(ガラテヤ2章20節)

2010・8・22
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講壇の花

2010年08月22日 | 生花
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