静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2009年10月11日 | 説教要約
「主なる神に寄り頼む」詩篇11篇1~7節

 この詩篇は、「信頼の詩」といわれています。この箇所から主の恵みをいただきましょう。

Ⅰ 寄り頼む私たち
 この詩篇は、ダビデがサウル王に命をねらわれはじめ、ダビデが葛藤していた時であるという背景をもっています。友人達は、「山へ逃げろ」と言いますが、ダビデは、山に逃げるのではなく、主に寄り頼む、主の懐へ身を置くと信仰をあらわしています。
 寄り頼むとは、自分では負えない重荷を負っていないで、主に明け渡すことから始まるのです。

Ⅱ 寄り頼まれる主
 ダビデは誰に寄り頼むのでしょうか。それは、全知の目をもってすべてを調べ識別し、神の義をなされる神にです。主なる神は、乱暴を好む者を憎まれ、主により頼む者を救われる方だからです。

 私達も、負えない重荷を自分で負っていないで、主に寄り頼み明け渡して、歩もうではありませんか。

2009/10/11 説教者 杉本守
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天のマナ

2009年10月11日 | 天のマナ
「静まって神を仰ぐ」  
「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10)

 ロサンゼルスにいた時、平日に近くのカトリック教会の礼拝堂を見せてもらった時でした。チャペルの椅子に座り、黙祷をささげている人、講壇の前にひざまずいて祈っている方、シーンとした中で、主なる神と交わる霊的な空気を身に感じ、会話を慎みました。
 
 聖徒達の共同体で神に礼拝をささげ祈ることも幸いですし、セル・グループで分かち合いの後、祈り合うことも麗しいです。それらと共に、時を用いて神の前に出る、一人チャペルで心を静めて祈ることは、主なる神との霊的な深い交わりが得られます。

 平日の朝でも昼でも夜でも、チャペルの椅子に座り、深呼吸をし、静寂な中、主なる神を仰ぎ、主イエスが横にいてくださる臨在を感じながら、黙祷を始めます。自らの置かれている状況、自らの意思と感情を含めた思いを主の前に注ぎ出した後、御言葉を読み、主なる神の御心を知ります。そして、その御言葉に立ち、信仰の決断の祈りをささげます。
 
キリスト者とされた私達は、成熟するために、このような霊的黙想の時間を通して、主なる神と深い交わりをすることが必要ではないでしょうか。

2009・10・11
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講壇の花

2009年10月11日 | 生花
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