「神の国の訪れ」 使徒行伝8章1~13節
ステパノの殉教が、教会に大きな転機をもたらしました。エルサレムの教会に対して大迫害がなされたのです。この箇所を通して主の御言をいただきましょう。
Ⅰ 神を求めていた者
パリサイ派に属し、地位もあり博学でもあったサウロは、ステパノの殺害に賛成し、なおも、キリスト者や教会を異端視し、彼らを迫害することが神の御心であると信じて、それを行っていました。彼は熱心でありましたが、誤った方向での熱心であり、神が送られた救い主(イエス)と救い(十字架と復活)に関することを真に理解できず、神の御旨とは反対のことをしていたのです。
教会は迫害によって散らされましたが、散らされた地で、福音を宣べ伝え、神はいつまでも試練を試練として終わらせず、迫害を逆手にとり、宣教の拡大の機会となさいました。
誤った方向に熱心な求めをもっていたサウロに対しても、神は憐れみをかけ、彼に神の業をなされます。
Ⅱ 神に捉えられた者
神の真の御心を知る前から、神はサウロに働いていました。先行的恩寵であります。それは、ステパノの殉教を通してであり、迫害の中にありつつも、輝いているキリスト者を通してでした。ステパノの最後の祈りとあの栄光に輝いて眠りについた彼の姿は、サウロの脳裏に焼きついたことでしょう。「そんなはずがない」と否定しようとして迫害を進めるサウロに、復活の主イエスがダマスコで現われたのです。サウロは、自分が迫害しているのは、救い主イエスであり、自分は全く逆のことをしていたことに気がつき、悔い改め、主イエスを救い主と信じるのです。
そしてサウロは、主イエスこと救い主であることを宣教します。まさしく、神は彼を捉えたのでした。神の救いにより、彼の内に神の国が訪れたのです。
神は今も救いの業をなし、信じる者の内に神の国を訪れさせてくださるのです。
神は、試練をも逆手にとり、御業をなす方です。
2008/7/27 説教者 杉本守
ステパノの殉教が、教会に大きな転機をもたらしました。エルサレムの教会に対して大迫害がなされたのです。この箇所を通して主の御言をいただきましょう。
Ⅰ 神を求めていた者
パリサイ派に属し、地位もあり博学でもあったサウロは、ステパノの殺害に賛成し、なおも、キリスト者や教会を異端視し、彼らを迫害することが神の御心であると信じて、それを行っていました。彼は熱心でありましたが、誤った方向での熱心であり、神が送られた救い主(イエス)と救い(十字架と復活)に関することを真に理解できず、神の御旨とは反対のことをしていたのです。
教会は迫害によって散らされましたが、散らされた地で、福音を宣べ伝え、神はいつまでも試練を試練として終わらせず、迫害を逆手にとり、宣教の拡大の機会となさいました。
誤った方向に熱心な求めをもっていたサウロに対しても、神は憐れみをかけ、彼に神の業をなされます。
Ⅱ 神に捉えられた者
神の真の御心を知る前から、神はサウロに働いていました。先行的恩寵であります。それは、ステパノの殉教を通してであり、迫害の中にありつつも、輝いているキリスト者を通してでした。ステパノの最後の祈りとあの栄光に輝いて眠りについた彼の姿は、サウロの脳裏に焼きついたことでしょう。「そんなはずがない」と否定しようとして迫害を進めるサウロに、復活の主イエスがダマスコで現われたのです。サウロは、自分が迫害しているのは、救い主イエスであり、自分は全く逆のことをしていたことに気がつき、悔い改め、主イエスを救い主と信じるのです。
そしてサウロは、主イエスこと救い主であることを宣教します。まさしく、神は彼を捉えたのでした。神の救いにより、彼の内に神の国が訪れたのです。
神は今も救いの業をなし、信じる者の内に神の国を訪れさせてくださるのです。
神は、試練をも逆手にとり、御業をなす方です。
2008/7/27 説教者 杉本守