静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年10月07日 | 説教要約
「見えるようになることです」 マルコによる福音書10章46~52節

 人生にはいろんなチャンスがあります。そのチャンスを逃さないで、つかまえることができたらどんなに幸いでしょうか。バルテマイという盲人が、主イエスに会うチャンスを逃さないで、主イエスの前にでたのです。

Ⅰ 憐れみを求める者
 彼は盲人でありました。そして、毎日エリコの外でものごいをしていたのです。彼の生活、心情を想像するとそれはみじめな希望のない歩みであったのではないでしょうか。しかし、彼は主イエスが通りかかるのを逃しませんでした。彼は、このチャンスを逃してなるものかとの激しい求めを叫び続けることによってあらわします。「救い主よ。私を憐れんでください」と。彼は、自分の姿をよく知っていました。神の前にでる功績もない、そういう存在でもない。ただ、神のあわれみがくだるのを待つしかないと。その憐れみを切に切に求めたのです。群集は彼を黙れさせようとしますが、彼をとめることはできませんでした。

Ⅱ 求める者を憐れむ主イエス
 切に求める者を主イエスは、ほって置くはずがありません。主イエスは、彼を呼び、彼を見つめ、彼の痛んだ歩みと心を知り、内臓がよじれるほどのあわみをお持ちになりました。そして彼に「私に何をしてほしいのか」と訪ねました。この問いは、彼が言葉として自分の願いと信仰を告白し、さらなる自覚をするためであります。彼は、「見えるようになることです」と告白します。主イエスは、彼の目に触れ、彼の信仰の受け皿に、神の奇蹟と恵みを豊かに注ぎ、癒されたのでした。

 私達は、どんな告白をもって主の前に求め出ているでしょうか。チャンスを逃してはいけません。切なる信仰の求めを持って出るときに、主の御業はあなたにもなされるのです。

2007/10/7 説教者 杉本守
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