「恐れることはない」 マルコによる福音書6章45~56節
神の言葉により大群衆の心を満たし、神の奇跡による食物でと大群衆の腹を満たされた主イエスは、弟子達を舟に乗り込ませ沖へ漕ぎ出だせ、自らは祈るために静かな場所へ行かれました。湖の真ん中まで来たとき、夜の間中、弟子達は向かい風に悩まされていました。
Ⅰ 恐れる人間
すでに舟を漕ぎ出して、6時間以上ははるかに過ぎていて、時は午前3時で辺りは暗く、弟子達の疲労度はピークになっていました。その弟子達の苦労を知り、主イエスは近づかれたのであります。しかし、暗闇と疲労のせいか、弟子達は主イエスを幽霊だと思い、叫び声をあげたのです。彼らにとって、見たこともない光景、海の上を歩かれる者の姿を、どう受け止めていいかわからなかったのです。人間は、未知の世界や自分の領域を超えた世界に出くわすと、恐れを持つのです。
Ⅱ 恐れから解放する主イエス
漕ぎ悩んでいる彼らを主イエスはほっておかれません。彼らに近づき、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と語られたのです。この「わたしだ」は原語では「エゴー エイミー」で、あのモーセが燃える柴の中より語られた神の名「わたしは有って有る者」をギリシャ語であらわす言葉、つまり、「私は永遠から永遠の神であり、全能の神である」ということであります。「その神なる私が、ここにいるではないか、恐れることはないのだ」と言っているのです。そして、主イエスは舟の乗り込まれますと風はやんだのです。
私達は、弟子達のように未知の世界、自分の領域を超えた世界に出会うと恐れを持ちます。しかし、主は私達のすぐ隣で、声をかけてくださっているのです。舟に主イエスを迎えたように、私達も主イエスを心に迎え入れましょう。風はやむのですから。
2007/7/8 説教者 杉本守
神の言葉により大群衆の心を満たし、神の奇跡による食物でと大群衆の腹を満たされた主イエスは、弟子達を舟に乗り込ませ沖へ漕ぎ出だせ、自らは祈るために静かな場所へ行かれました。湖の真ん中まで来たとき、夜の間中、弟子達は向かい風に悩まされていました。
Ⅰ 恐れる人間
すでに舟を漕ぎ出して、6時間以上ははるかに過ぎていて、時は午前3時で辺りは暗く、弟子達の疲労度はピークになっていました。その弟子達の苦労を知り、主イエスは近づかれたのであります。しかし、暗闇と疲労のせいか、弟子達は主イエスを幽霊だと思い、叫び声をあげたのです。彼らにとって、見たこともない光景、海の上を歩かれる者の姿を、どう受け止めていいかわからなかったのです。人間は、未知の世界や自分の領域を超えた世界に出くわすと、恐れを持つのです。
Ⅱ 恐れから解放する主イエス
漕ぎ悩んでいる彼らを主イエスはほっておかれません。彼らに近づき、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と語られたのです。この「わたしだ」は原語では「エゴー エイミー」で、あのモーセが燃える柴の中より語られた神の名「わたしは有って有る者」をギリシャ語であらわす言葉、つまり、「私は永遠から永遠の神であり、全能の神である」ということであります。「その神なる私が、ここにいるではないか、恐れることはないのだ」と言っているのです。そして、主イエスは舟の乗り込まれますと風はやんだのです。
私達は、弟子達のように未知の世界、自分の領域を超えた世界に出会うと恐れを持ちます。しかし、主は私達のすぐ隣で、声をかけてくださっているのです。舟に主イエスを迎えたように、私達も主イエスを心に迎え入れましょう。風はやむのですから。
2007/7/8 説教者 杉本守