静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

講壇の花

2007年02月25日 | 生花
2月25日
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受付の花

2007年02月25日 | 生花
2月25日(日) 
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主日礼拝説教要約

2007年02月25日 | 説教要約
「人を生かす神」マルコによる福音書2章23~3章6節

 私達クリスチャンにとって、安息日(土曜日)は主日(日曜日)であります。それは、救い主イエスが、十字架と復活による福音によって、律法と預言を成就されたからであります。特に復活の日である日曜日を主日として礼拝しているのであります。この安息日(私達にとっては主日)での出来事を通して、人を生かす神に触れられたいのです。
Ⅰ 安息日の目的
 律法によると、出エジプト記20主の十戒の中に、「安息日を覚えて聖とせよ」とあり、6日の間に働きすべてのわざをし、7日目はわざをしてはならないとあります。そこで律法学者は、「わざをしてはいけない」とはどういうことかと、細則を決め、それを守るように努めていたようです。ですので、安息日に弟子達が、空腹を覚え、穂を摘み始めますと、それはわざだと言って、非難し始めました。主イエスは、それに対して、主は安息日の目的に二つの例と一つの奇跡を通して目を留めさせるのです。
 神が安息日を用意された目的は、「神が人を祝福され生かすためである」ということです。神は人を縛るためではなく、人が体も心も休み、神を礼拝することによって心が満たされ、新たな一週間を過ごすためであります。しかし、律法学者達は、安息日の形式を守るだけで、目的から離れていて、人を生かすどころか、人を裁ていたのです。

Ⅱ 安息日の目的を果たす主イエス
 主イエスはさらに、一つの癒しを通して、安息日の目的を果たします。それは、安息日に手の不自由な者を癒すことによってであります。安息日に善をし人を生かすことを示されたのです。手の不自由な者に「手を伸ばしなさい」といっていやしました。
 まず、主イエスは、形式的な信仰生活なっている私達に、「手を伸ばしなさい」と言って、癒し満たして下さるのです。そして、一週間新に遣わしてくださるのです。主イエスに満たされ遣わされる主日でありたいのです。

2007年2月25日
説教者 杉本守牧師
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