人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

強力な寒波だ

2018-01-27 | 

 三日前から寒波がきた。昨日と今日は更に厳しくなった感じ。道路も、長靴を履いていても、身をそらして大股での歩行は、路面が凍っているのでできない。(転倒危険のため)
 自分の居宅は古いものだし、大通りから左に少しのぼったところにある。
その辺りだけは慎重に、ゆっくりと歩かないと転倒危険である。
 明日ぐらいからは、この寒波もゆるむらしい。過去数年間のうちでは無かったものだ。雪はほとんど降らない。
 朝の冷え込みは氷点下である。明日からは寒波もゆるみ、雨も近くなるのではないかと思っている。
 自宅の駐車スペースに溶けた氷がつるつるになって残っている。今日の午後にスコップで割って置いたが、明日はほとんど氷は無くなると思う。
 玄関横にスコップで掘った畑状のスペースが一坪程度あって、今は野蕗の蕗の薹が出ている。春になれば百合などの花が咲く予定になっている。(下は実家近くの消火栓と今の実家、)


 


冬 本番3

2018-01-26 | 

 今朝も結構冷えた。
寒さもピークなんでしょうが、今朝も冷えました。
 昨日、午後から風が吹き続いて、寒さが身に応えるようになる。
幸いこのあたりは、雪が降っても現在のところ、朝、10cm(未満か)程度だから有難いことだ。
 小・中学生時代全国でも知られる積雪量で名の知られている地域が、自分の故郷である。積雪量が増えてきた時の窓の破損を防ぐために、専用の板をはめていく。屋根から落とした雪が窓際にふえていくと、3枚~5枚などと、徐々に増やしていく。そして、2月の末ごろ~3月には窓からの明るさがなくなってしまい、外から帰ってくると家の中は暗闇。囲炉裏の火だけがチョロチョロと見えるだけになる。
 朝、20cm以上の積雪があれば、早朝に起こされて、自分で作った藁製の長靴状の靴を履いてカンジキ蓑傘をつけて、自分の家に割り当てられた範囲、時には距離をしっかりと踏み固めてこなければならない。遅い時間ではだめだ。急用で出かける人もたまにはいるわけだから、さぼることは厳禁。忘れたは通用しない。そのために、薄い板に屋号(集落のそれぞれの)を書いた木の薄い板を短い竹の竿のぶら下げたものを、順に送っていく。いわば当番表だ。それが回ってきたら、緊張して翌朝を迎えて、夜明けに雪の量を見る。夜の間に基準以上の積雪があれば、藁靴、蓑カサ、に身を固めて両足を広げて、しっかりと踏み固めて決められた場所まで歩くのだった。
 30分もかかればかなりの距離を踏める。敗戦後のこととはいえ、代用食(いくら自分の家が米を作っていてもお国のためだ。)誰も文句を言うような人はいない。
 若くて元気な男衆はいないのだ。すべて赤紙一枚で何日以内に、どこそこの、分隊に集合しなくてはならない。
 こんな時代だから、子供でも藁で作るる靴など、出来るようになった。そういう生活が敗戦まで続いた。学校でも国民学校で学ぶが、教科書がない。紙がない。先生がいない。胸には女性は白い布切れに自分の名前をきちんと書いて縫い付けていたし、古着にモンペ姿。今の人に当時の豪雪地帯の状態を説明しても、通じない時代になってしまった。女性は時々、竹槍訓練があった。(退役軍人が指導した)





  


寒波がきた。

2018-01-25 | 

 
 寒波が来た。
 昨日の様子を見ていて、明日の朝までに雪が積もるかも?。今朝布団の中で、前の道路を通過する車の音を聞いていて思った。バリバリと凍てた雪が車輪に砕かれる音だ。
 雪ではなく、昨夕の雪が固くなったのが砕かれる音。しばらく後で見ると、出勤する人などが、ペンギン歩きでよちよちと出かける。
 北海道旅行の際に、流氷観光のときか網走監獄などの観光のときと思うところだが、寒さはこのあたりのものとは比較にならない。(これは自分の身体が覚えている寒さとの比較の問題かと思うところだ)
 また、ある年にこれは11月下旬だったが、たまたま出張で中国の内陸部の襄樊市に数泊したが、11月とはとても思えない寒さで驚いたことがある。これなども上記の「自分の身体が覚えている寒さとの比較の問題」の類だろう。
 自分の年齢もある。現在は加齢と全身痩せているので、外気が下がれば感じる寒さは比例する。
 日本でも山岳を除いた地域では積雪量が半端じゃない。有名な豪雪地帯だ。
 早く爛漫の春を待つだけだ。


冬 本番2

2018-01-24 | 

 ついにやってきました。冬本番。いつものように公園のグランドゴルフに出かけたが、体調がよくない。打ったボールが地面の凍結により思うようには転がらず、「ゴロ ゴロ」と音を立てて凍土の上を転がる。いつものようにはできない。
 体調のこともあり、自分だけ中断をさせて頂き、帰宅。以後は炬燵で暖まって時間を潰す。
昼過ぎ頃から、風が強くなり、夕刻頃には雪交じりになる。
 幼児であれば、明日の朝が楽しみなことだろう。はたしてどうか?。
 幼児ではない?自分も明朝を待ってみることにしよう。


冬、本番?

2018-01-23 | 

 いよいよ冬本番?。寒かったですな。今日の午前午後?。
やっぱり、やってきましたね。冬の本番でしょうね?。
 今日は早朝から出かけました。おなじみの病院へです。
総合病院に行きますと、あの科、この科。と回り診察を受け、どんなに早く出かけても、予約をしてあっても、9:00時から各科一斉にスタート。同時にあの科のあの先生に、などと思うところが、
どの患者にとっても、結局は毎回変わらない。
 自分の場合、殆どオールラウンドといっても過言ではない程、つぎつぎに予約を入れてある。
しかし、それはどの人、患者にしても全く同じ。
 結局、正午ごろに解放されてとりあえず終了だ。
金銭の清算が済み、さて、次に控えてるのは近くにある薬局だ。
 そこも、無事に済ませてようやく解放だ。
 とたんに「さてと時間は?」。正午前後になっている。
近くの食事のできる店に入り、昼食を済ます。
 その後、自宅方面に向かうバスがあるかないか?。調べて帰宅の準備だ。
 当然、まずは飯だ。どんぶり飯を喰える店が近くにある。
腹ごしらえができてから、帰りの交通時間を調べる。
 それが、思うような時間がマッチしないときが多い。でも、それに合わせなければならない。
 今日のニュースに白根山の噴火がある。数10年前に歩いた場所だ。当時は噴火口に緑色な噴火あとの池がきれいだった。
 日本は火山列島。どこにいても、山であれば、噴火口がある。いつ噴火するかは今の科学では確定は出来ない。
 でも、死火山でない限りは、いつ、噴火が始まるかは不明だ。
 これが日本列島。まさに火山列島そのものだ。
 今回の噴火した場所の池は何年前に訪問したっけ?。
 海外旅行からの帰途、上空から外を見ていると、緑多い島が見えてくる。ああ、これが祖国だ。何と「美しい列島よ」。大方の人たちの思うところであろう。山あり、谷あり、緑がいっぱいの列島だ。
 しかし、この祖国も火山列島であることは忘れてはならない。


普通の冬になったかな?

2018-01-22 | 

 寒に入っても、いつもの寒さと異なるし、寒さも安定した状態でもない日々続いたが、ようやく普通の冬になったかな?。
 テレビでも関東などの雪の中を歩く人たちの姿、町並みなどが放映されました。
 豪雪地帯で生まれ、育った自分は雪が降ったからといって、別にどうってこともない。
ただ、連日、連夜降り続き、しかも寒波が来ると雪堀り作業を思い出す。
 「今週は氷点下の日が続きます」とテレビが報じています。
久しぶりに当たり前の冬になるかな?。などと思っている自分だ。
 ただ、連日連夜降り続くと、少しづつ困ることも出てくる。
 まづ、野菜など食品類が値上げしてしまう。魚、肉などもそれに続く。
年金暮らしの貧乏人にとっては、これだけが気掛かりだ。
 あまり長い間、降りっぱなしというのは、ごめんです。


 


春のような陽気

2018-01-20 | 

 春のような陽気でした。
今日のような日であれば、冬もつらくありませんね。
爛漫の春も今少しで訪れます。
楽しみに、期待して待ちます。
 ところで、今日は一つ、自分にとって良いことがありました。
 数日前から、このブログで、利用していたカメラ(小さなポケットにいれて、持って歩くもの)が、無くなって、探してましたが、今日無事見つかりました。家内のヒントをもとに見つけることができました。(感謝です)
 ちょっと、落ち込んでいましたが、また、元気が出ます。頑張ります。

 

 


今日は雨天

2018-01-17 | 

 朝からの雨天、なんとなくしっくりしない日です。
いつ止むともわからない状態か?。
 春雨と言われる状態とよく似ていますが、まだ春雨の時期でもないし、自分のような暇な老人にとっては、これと言ってやることもなし、身を持て余しています。
 ところで、自分は最近カメラを無くしてしまった。掌に収まる程度の小さなものだし、特別高価なものでもないが、無くなったとなると、このブログも継続していくのが難しくなるかも。
 この冬の雪は、降り方が例年とは少し異なるようだ。例年、大雪で困るほどの地域があまりにも少ない状態のところが多い。
 自分のような門外漢にはわからないが、地球的な規模で気候であるとか、海流の変化だとかがテレビで紹介されることがある。


冬です

2018-01-14 | 

 寒さもそろそろ峠?。といったところか。
雪は今年も降らずにここまで来ていますが、この先はどうかな?。
  テレビの天気予報などを聞いていますと、寒さはともかく、降雪については例年というか、本来降るべきところはともかく、例年、殆ど降らない筈の地域で降っているみたいです。
 例年豪雪と言われる、地域で生まれ育っている自分としては、どことなくしっくりしない感じなのは、何故か?。
 それは当たり前でないからでしょうね(今年は異常だと思う自分だ)。
例年、11月下旬には必ずと言っていい程、初雪が降る、それも、10~15cm程度で。以後、気圧配置が西高東低になってくると、ジャンジャン、というか静かにというか、もさもさと静かに、ただ積もっていく。やがて屋根の雪が温かい日に一気に軒下に滑り落ちるといった日々が、しばらくあって気が付くと根雪になっている。
 家じゅうの窓には屋根からの落下する雪で窓が壊れるのを防止するために、二階は別にして、一階は、窓の「はめ板」を用意する。雪の量が増えるに従い、事前に用意された「はめ板」を一枚二枚と増やしていきます。志賀高原や近くの高天原辺りでは、現在もこれを使っている。
 茅葺き屋根の場合だと、コーナーの部分はカヤより丈夫な葦(よし)を使う。
晴れたり降ったりを繰り返しますから、屋根のコーナーには太く長い、しかも重量が数100kGを超える状態になる。長さも相当なもの。先端が積雪に突き刺さり、茅葺き屋根を壊してしまう状態になると、マサカリ(斧)で氷を割って切り取る。その間に時間ができれば藁細工に励むとか、戦後、社会が落ち着いてきてからは、現金も必要になり、出稼ぎに出る。(それまでは自給自足で生活、味噌まで自宅で造った。それも一年分だ。豆を煮る大きな鍋付きの道具は集落に一基だけあった)。春先持ち回りで使った。
 春先、雪が閉まり、朝、藁靴で雪の上を飛び回っても、潜らない。
こんな頃になると、雪の事故が多くなる。古い時代から、雪の事故は数知らずだ。
小さな流れも雪解け水で増えてくる。土手の上で雪と土の斜面の間に挟まって出られなくなるなど。
 街に出ようと思えば、夜も明けやらぬうちから、藁で作った重装備で峠の尾根伝いに山を越えて、停車場(駅)に向かう。(尾根伝いでないと雪崩にやられる)停車場に付くと駅前の家にて、その家の玄関で重装備を解き、町に出る支度に変える。支度が済むと、「さて、今日は汽車は何時ごろ来るんだろうね?。」と言った話になる。やがて、汽車が付いたら街に出る人は、そのまま乗って出かける。
 荷物などを背負って、そこまで送ってくれた屈強な男の人は、町に出る人の装束、蓑など、藁靴に至るまで、すべてを背負って雪道を早朝に出た集落まで引き返す。そんなことを思い出している自分だ。雪道を深夜まで歩き続けて結局。親戚の家に一泊させてもらったことがある。当時の生活を思い出すと、同じ国である日本が、あるいは世界がこんなにも変わったんだと思った次第だ。


今朝は冷えた

2018-01-13 | 

 今朝は冷えた。雪もうっすらと木の葉や草の上に乗っかって、白くなっていた。積雪はないから楽なもんだ。
 特別、気にもしてはいないが、「最低気温がマイナス?℃」であることには間違いないだろう。
昨日、食べたものが、数日だけ、賞味期限が切れていた故かどうか確かなところは不明?。
 冷蔵庫に入れておいてあったものだが、乳製品であった。
 「おなかの具合が悪くなって、不快な思いを致した次第」。
 野菜とかであれば少々古くなっても心配ないはずだが、乳製品は別だ。加えて自身の身体事態がかなり「ガタガタ」に痛めつけられている。昼には「おかゆ」を少々、梅干し一個をいただくのみ。
 外出もしない。俺も齢なんだからもっと気を付けよう。
 「以後は気を付けましょう」。

 


寒さが厳しい日

2018-01-12 | 

 今は暦の上では寒にはいっている。
当たり前のことだが寒い。老齢故に特にその点だけ強く感じるようだ。
 今朝の寒さにビックリ。「これは駄目だ」と、いち早く今日の公園での老人のグランドゴルフを不参加(練習に参加するのを)と決め込んだ。
 炬燵で温まっているのが一番です。
 20日が大寒で2月3日が節分ということになっている。
でも、今年はどんな寒さや、降雪はあるのか、ないのか。
 雪は降っても一向に苦にはならないが、寒さには体が応える。
  暖かい季節になるのが待たれます。





八木山新春の集い

2018-01-06 | 

 朝寝をしてても、雨が降ってるか、そうでないかがわかる自分です。
要するに暇があるからだと思う。
 正月休みが明けて世間一般の家庭、それぞれがいつものパターンに戻ったということ。
 昨日は地域では恒例の正月行事「八木山新春の集い」が小学校のグランドで実施された。
 絶好の晴天に恵まれ、午前、午後へと進む。
学校の裏山が約300mの標高だ。
 普段でも地域の人たち、地域外の人たちで「八木山から愛宕山」「愛宕山から八木山」へと、
登山を兼ねた健康維持に縦走する人たちが、地域の人たち、少し離れた地域の人たちなど、天候に恵まれた日ならば、必ずと言っていい程、誰かが足慣らし、健康増進など、目的はともかく、結構山に入っている。(リュックに石やレンガを詰めて足慣らしをする人もいる)
 昨日の「八木山新春の集い」でも、初めにいくつかのコースに分かれて、登山、裾の道散策などに分かれて歩く。メーン会場の八木山小学校校庭に到着するころには、祭りは盛り上がっている。
 何か所かに分かれて同時に餅つき大会が盛り上がっている。豚汁、モツ煮。などが出来上がっている。もちろん家族総出で参加した人たち。それぞれに仲良しグループごとに、ビールや日本酒、ジュースもあって、何を食べても飲んでも、自己責任の範囲で自由参加だから、賑やかでのどかなもの。次々と出来てくるお餅は食べきれません。(アンコロ餅、黄粉餅、大根おろしにまぶしたもの)、もつ煮、豚汁。   
 お酒がなくなれば誰かが余っているグループから、適当にもらってきて補充する。賑やかで楽しいお祭りだ。もちろん、役員の方々はそれなりに大変だ。
 しかし、毎年、正月に開かれる伝統行事となっている。
 八木山小学校校区(二つの住宅団地)の住民が協力して実施してきたし、これからもずっと続くと思う。既に最初の頃とは世代が変わっているが、残っている。新しい形の文化だ。


1月3日

2018-01-03 | 

 正月の三日目が終わった。
どこにも行く気はしなかったが、昨日は天気に誘われて近くの愛宕神社に初詣に行く。氏神様ということで、お札さんを、古いのを返納して新しいのを受けてきた。ついでに甘酒をいただく。
 これは毎年のことだが、天気が良くてまあまあだ。小さな神殿がいくつも併設されているが、丁寧に見ていると、「ん!、これは?と思うことがありしばらく眺めていた」。小さな石の像だがどうやら「役の行者」らしきものが一体だけあった。かなり古いものと思える石像だ。
 この地域の歴史はかなり古いということは、以前から承知していることだが、なるほどと思う。つくづく眺めてみたが、小さな石像ながら歴史に照らしてみても「役の行者」そのものだ。
いつか歴史書を調べてみたい。昔から軍隊(陸軍、航空隊があった町だ。)また、同行者を募って実施されている、市内の歴史散歩という行事にも参加したことがあるが、この地域が古い歴史を持った地域に間違いないことは分かっている。


正月二日

2018-01-02 | 

  一月二日、今日も晴天だ。有難いことです。
どこにも出かける予定はない。
たまにはこんな日があってもいいだろう。何もしないで、ただ、ボーとして時間を過ごす。
 といっても、加齢なる老人。(華麗ではない)。テレビを見ても正月はつまらないものばかり。それもその筈。
 ニュース以外の大多数の番組は、秋のうちに(多くは10月ごろに)撮り溜めしたものを使っているからだ。定年前に職場で干支(サル)の年前に10月ごろから忙しい思いをしたからだ。昼間だけに限らず、早朝夜明け直後の撮影、深夜にゴリラの♂♀は何してるかとか、所詮くだらないものだが、その作業に付き合うために徹夜をしたり、夜明け前に職場に出向いて、前日の打ち合わせどうりに撮影や現場からの中継がうまくいくように、してやらなければならない。
 こんな日がずっと続いた。一般の従業員は定刻どうり出勤だから、当然家で、朝のテレビで見ている。
 また、暖房用のボイラーの老朽化のため、寒さの深夜に自宅から、一晩に3回職場の現場に出向いたこともある。(クリスマスイブの夜だった。ホワイトクリスマスよろしくコンコンと雪が降っていた)。

 今と異なり、働き方改革などという時代ではない。もちろん時間外手当ても何もない。
 ただ、放って置いたら、多くの貴重なサルたちが一挙に死んでしまうだけだ。
 その一心で、頑張ったものだが、いまとなっては、いい思い出として心に残っている。
 小さな木箱の底にお湯を入れた瓶や、簡単な「電気あんか」を入れて動物の赤ちゃんが寒さや暑さで病気にならないように、寝ている布団の枕元に木箱を置いて寝る。おしめが濡れれば、泣く。寒ければ泣く、暑ければ泣く。人間の赤ちゃんと全く変わることはない。
 そんな時代の、干支の申年前におきたことを今日は思い出した次第だ。
 遅ればせながら、当時、勤務先は「日本モンキーセンター」である。

 

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スッキリ晴れた元旦

2018-01-01 | 

 すっきりと晴れた元旦でした。
今日はどこもお休みですね。
10時半頃から、一番近い愛宕神社へ初詣に家内と一緒に行ってきた。
 自分たちの住む団地(町内)の氏神様だ。とはいえ、神社は結構古いと聞く。裏山が「愛宕山」で300mに満たない標高だ。幹線道路から右に直角に登る。長い登り道だ。愛宕山への登山は簡単だが途中で神社の奥社がある。(奥の院)
 毎年、お参りしているが、今年が一番大変な思いをしたと思う。今までの中で一番きつい思いをした。(奥社まではいかないのに)
変わらないようでも、確実に体力の衰えが顕著になる。
 これはまあ、当たり前のことであって致し方のないこと。
 それにしても、例年、こんなに体力がなくなっているとは気付かなかった。
 元旦の午前中など、だれだって特別な要件がなければ出かけないのは当然だな。と、納得。
そんな中、初詣だけは別格だ。古くから続く日本のよき習慣?とでも言うべきであろう。
 お賽銭を入れて鈴を鳴らし、もっともらしく頭を垂れて柏手を打って、更に頭を垂れる。
誰でも経験がある筈なのに、その時は心が空っぽのことが多いのはなぜか?。
 「明確に目標をもって、そのことの成就を真剣にお願いする人は、初詣の人の中では意外と少ないのかもしれない。」今日はそんな印象をもった。
 昨日、午後から長男がお酒を一本もって来てくれた。妻の実家の関係で用事があったので、ということだった。
 今日、元旦。午後は風が出てきて冷たいので、炬燵の中で過ごす。この正月はいろいろあって、来客は無し。孫たちに渡すお年玉は昨日のうちに渡してある。(長男のところの孫は、二人いるが大学受験と高校受験で大変そう)
 みんな多かれ少なかれ大変な思いで過ごしていくのだ。