今日も引き続いてよい天候に恵まれて、気分良く過ごすことが出来た。
一昨日、急に思い立って家内と二人で内海の町に小旅行で一泊してきた。
初めての場所だと自分は思うのだが、以前に一度行ったことがあるような無いような感じではっきりしなかった。
食事や温泉はとてもよく、しかも名古屋まで送迎してくれるという条件付きなので恵まれた小旅行といったところ。
但し、「名古屋駅裏の太閤どうり」まで旅館のバスで送迎付きの筈が家内が一瞬遅れてそのバスに乗り遅れたので、結局電車で終点まで
二人で行くことになった。そこで宿泊の旅館のバスで目的のホテル風の旅館に到着。それでも一足早く名古屋駅を出た、旅館の送迎バスの人たちよりも、早かった。つまり、旅館のバスより電車の方が遥かに早かったということだ。
海岸であるので風呂の湯量はものすごく多い。そしてかけ流しだ。
宿での食事はとにかく魚が多いので、満足であった。
夕食時に何十年ぶりでしょうか、「ヒレ酒をフウフウ」口で少しづつ味わって呑む。
海に面してるので魚はとても美味い。これは家庭で日常体験できないものだ。
風呂は海岸故にどこを掘ってもいくらでも出るので湯量がやたらと多いのだ。
本日10月22日、皇室の「即位礼正殿の儀」が行われた。
始まる前からすべて中継である。(NHKテレビ)皇室の伝統の「高御蔵」での陛下の正式な即位宣言にて、国内外に公式に宣言をすることによって、正式に内外に知らしめることになるようだ。
憲法が定める国事行事として実施されたものだ。
儀式のあいだ殆どの時間、東京は強い雨が降りしきっていた。行事が終盤になってから晴天になる。
世界各国から多数の国賓、その他の大切な招待客(2,000名)の皆さまが参列されていたのが、良く分かる状態でよかった。
テレビでご覧になった人たちは、どれくらいの数になったかは不明であるが国内だけでも、全国的に見ればすごい人数であっただろう。
19号台風はとりあえず終わったが、残した爪痕は大きい。
自分たちの居住してる地域は今回は殆ど影響がないといっていいだろう。
たしかに大雨は降ったが、幸いに住民の殆どが息をひそめて待機していたことだろう。
島国日本は災害列島でもある。今回も河川の氾濫など家屋、車、その他大切なもののすべてを失った方々には深くお見舞い申し上げます。もとどうりの日常を取り戻すまでの道程、お身内の方々に異変が起きてしまわれた皆様には申し上げる言葉もありません。(合掌…)
近年の気候の変動「極端から極端へと急旋回」というケースが多くなりました。いつ、なんどき自分の身に降りかかって来るかはわかりません。
古くからの日本民族の宿命でもありましょう。
くじけずに、頑張るしか他に取る術はないですね。
台風19号は日本列島に大被害を残した。
予想をはるかに上回る、大きな災害により復旧に要する期間、想像を上回る費用、その他副次的な損害等、一般の想像をはるかに凌ぐものがある筈だ。
これからの国の予定、例えば来年に予定されているオリンピック。この開催は大丈夫か?。
その具体的な裏付けは何か?。
いづれにしても国土、河川、道路、町や交通網、電気及びエネルギーなど。
自分のような「おいぼれ老人」にはわからないことばかりであるが、短期間で成し遂げられるものでもない。国中で工事がはじまると思うが、今回のような豪雨に比する災害が、これからは時々起きるように思えるのだ。
地球全体が少しずつ温暖化というか、変動しているように思えてならない自分だ。
南極で氷の岸壁が次々と崩れ、海面に大きな飛沫をあげて落下する模様をいつかテレビで見てから温暖化現象ということが、自分の頭から完全になくなることはない。
一般大衆としては、これ以上に大災害が日本で、あるいは地球上で起きて欲しくない。
美しい国土、「日本」緑なす山並み、コバルトブルーの海どれもこれも多くの国にはないものだ。
台風が去った。少なくとも自分の住んでる辺りには、大騒ぎするほどの被害は昨夜までのところ自分の住んでる辺りには及んでいないようだ。
日本列島に居住する人々にとって、毎年の行事のようなもので、現時点では完ぺきに回避する術がないのが実情だから、どうしようもない。
古くから、日本列島に住み着き、居住してきた自分たちの祖先のことを、いま、思い出してみる。
現在のように、様々な観測体制が整っているわけではないから、習慣やら、言い伝えやら、あるいは土地の古老の体験といったことの重ねた上で、工夫しながらの猛威を振るう台風という敵に対してきたものであろう。
大きな不安であったろうことは当然として、このことは現代においても、事前にその規模が、方角
がわかるようになった以外は、変わらない。
その被害はどの程度のものか、復旧に要する時間や費用は?等々については台風が通り過ぎて見なければわからないのだ。
いま、朝の7時過ぎだが被害の実態の様子が報道されている。(7時のNHKニュース)
長く暑かった夏も過ぎてようやく秋になる。昨日はこの秋になって初めて本格的な百舌鳥(モズ)の高啼きを聞いた。(近所の公園で)
老いぼれである自分にしてみれば、何はともあれ助かったという思いだ。
これは自分だけの現象か、あるいは社会全体の状態かは不明ではあるが、自身にしてみれば看過できないことである。とはいっても、自分がいま倒れても社会には何の影響もないのだし、「これはこれで良し」なのであろう。
生まれ故郷である新潟の豪雪地帯から、過日この秋の新米が大量に届いた。これについては自分と家内の二人ではとても食べきれるものではない。
愛知県に住む長男、長女家族に分けてやろうと思ってる。
長寿会の仲間と近所の公園で雨天でなければ週に6日、グランドゴルフで1時間程度興じる。こんなことでもないと、体の方がすぐに駄目になってしまうのだ。
すべての人とは異なるとしても、世間一般的に見て、程度の差はあるが同じように感じるがどうだろか?。
岐阜県関市で見た風景 ↑ 心が癒されます。
10月になった。
でも、今日も暑い日だった。
今年に限ったことでもないが、近年は季節感が自分の感覚とは合わなくなってきている。
これが当たり前なのか?。
それとも、地球の変動期なのか?。
そのようなことにまで思いを巡らす「うぬまじいちゃん」である。
季節感だけでもなさそうである。
日本人そのもの、特に若い世代の人たちの行動である。
老人たちの感覚では、思いも及ばない事柄が次々とでき湧いてきている。
一定の年齢を区切りに、従来の日本人的な発想から飛躍して、「日本民族からはみ出した発想」とでも言うべきか自分のような老体は、腹の底の思いを外に出す機会がなくなりつつある。
この先の国民的な意志というか、大衆の思いといったものは、どのようなものかすら不明な自分。
まあ、これはこれでいいのかも。自分のような世代の人たちの時代はとっくに過去のものになって、
今後、どう進んでいくのか、それも不明。「過去の人の時代」は歴史に埋もれていくものだ。
ナナカマド ↑