春がやってきた。サクラは今少し後になるが、ここまで進んでいる春が後戻りすることはないと思うが、「花冷え」という表現もある。自分も体験してるが、最寄りの木曽川を渡った地域に居住してたとき、サクラの花が開いたとき、雪にに見舞われたことがあった。でもサクラは強い、寒さにちじむことなく、立派な花を堪能させてくれた。
日本人は、サクラが大好きだ。根尾の淡墨桜をはじめ「臥竜サクラ」など。
ヤマザクラ ↑
今日は天皇陛下、皇后陛下。揃っての御在位30年の記念式典が東京 国立劇場で14時から行われた。
きちんとした節度を持った式典だと思った。
テレビではそのあと、皇居の森を映像で見せてくれた。
自分としても興味のある番組だった。(画像は山茶花)↑
少し風があるが春らしい一日だ。
午前中、家内と二人で、買い物を兼ねて外食を簡単に済ましてきた。
暖かい緩やかなかぜに吹かれて、気持ちまでさっぱりといった感じでした。
これから咲く花の数々、それらの花芽や、蕾がそれぞれ膨らんで、来ているのがはっきりとわかる。
いよいよだ。待ってた春よ!。
どうか、この老人たちをも、喜ばしておくれ。そしてひとときの感動も。
待っていた春がやってきた。
もう、冬に逆戻りする確率は少ない。
でも、まだ、わからない。
何十年か前に、サクラがほぼ満開状態になった時、このあたりでは極めて珍しく「大雪」に。
といっても「30cm」程度が積もったことがある。
予期しない降雪にとまどった人の多かったこと。
学校が休みになる。電車の時間はあてにならない。いろんな業界にも影響があったものと思う。
自分は、豪雪地帯の生まれ、育ちである。何とも思わない。
雪のない地域で育った人たちは困ったことだろう。そして流通機能も麻痺しただろう。
こんな自分であるが、ある冬に北海道の「網走?、流氷観光」?。に行ったことがある。その時のことを思うと笑えて来る。
つまり、北海道の氷雪と豪雪地帯の「雪や氷」は質がまるで違うのである。
案内に従って靴の裏にワラジを横に縛って滑り止めにしたが、転倒したこと、数え切れないほどであったのを思い出す ↓自宅前の蕗の薹
朝から雨だ。暦の上では「雨水」とある。
これからは、雨がよく振る日が増える。
それも、一気に降る雨ではない。
しとしとというか、小雨ではあるが、確実に降るのだ。
そして、地中に静かに吸い込まれていく。
山や豪雪地帯では、雪が固く凍ったり、早く消雪したいときには、土を撒いたり、藁灰を撒いたりする。
そのことによって、強くなった日差しを受けて、その部分の雪(既にザラメ状になってる)が早く溶ける。豪雪地帯の農家では、苗代だけには、早く種籾を撒きたい。その年の稲の成長を順調にしたいからだ。
田圃にはまだ固く締まった雪が分厚く残っている。
そのような状態の中で種籾を撒きたい。前年のコメの籾殻を山ように積んだ中心に火種を入れて、籾殻を蒸し焼きにして(3~4日かけて)真っ黒な籾殻灰を「苗代」に振りまく。
春の強い日差しを浴び、苗代だけは早く(固く締まった)雪が溶ける。
この時期は、危険もいっぱいある。傾斜した斜面に積もった雪が地面との接触面で隙間ができる。
地面の草や小さな木はまだ土に張り付いている。その隙間が危険なのだ。そこに挟まったら、もがけば更に奥に滑り込むだけ、その場に誰もいなければ、そのまま氷と凍土の間で死ねだけだ。まさに春は危険の中にあるといっていいだろう。そういう事態を何件も聞いたり、体験して育ってきた自分。近年は当時のような豪雪はあまり聞かないが、地球温暖化の現象だろうか?。待たれる春だ。
八木山の山桜
朝からの好天に恵まれた。
この調子なら気温も、それなりに期待出来るかも?。でも、予想したほど暖かくはないし、風もそれなりに強いようだ。
期待は裏切られた。
家内と一緒に、散歩に出る。目的地という程でもないが、お馴染みの「苧ヶ瀬池までだ」池の前の屋台で「みたらし団子」等を購入してたべる。
帰りは、山の前の細い道(車も通らない)をゆっくりと戻る。
日差しは強いのだが、弱い風が絶えず流れている。(伊吹おろしだ)
「待たれるはるよ」である。
毎日、午後から風が強くなる。
これが結構冷たい。
ヨレヨレの老人だもの。
致し方なし。
何に挑戦してみても、結局失敗ばかり。
わが認知機能に相当以上にダメージがあることが、
自身で強く認識できるのだ。
なにを考えて、何をやっても夢の中のことのようだ。
脳梗塞で、2回入院してる。
今日はバレンタインデーらしい。
そして、そのあとには「ホワイトデー」と繋がるようだ。
このあたりでは、いま、梅が咲いている。
季節は確実に進んでるのだ。
春は近い。
春が近いことは分かっているんだが、今は西に高く東に低い典型的な冬型気圧配置になってるんだと、自分の既に忘却した知識を掘り起こして、ここのところの寒さについて、断定してる次第。
しかし何といっても、加齢による体力減少のために、身に応える。
春は、すぐそこまで来てるのだから少しぐらい、季節が延びても大きなことはなかろう。
待たれる春。早く来い来い「爛漫の春」。
3日前に玄関前に植えてあった、「ぶなの木」を切って、地面に日が当たる面をわずかだが、広がるようにした。
ここ数10年来、大切にしてた木だ。でも、自分の余命そのものはあまり残っていない筈だ。
思いきって途中から切ってしまった。すでに春を迎えるべく、ブナの木は水を吸い上げていて、新芽は皮を被っているが、春の日差しを待っている状態。
老人の思いは、誰であっても大きくは変わらない。スカスカの頭で待ちわびている自分だ。
ここ数日、午前中は日差しもあったりして、時刻により暖かな日もある。
そのような日であっても午後になると寒さに向かい、13時以降になれば、風が出てくる。
この風がとても冷たい。
名もなく貧しい老夫婦である自分たちは、この冬も例年の如くじっと我慢の日々であるといってもいいのだろう。
ここのところ、連日の寒さ、冷たい風だ。
ずっと以前に現地が真冬の観光で行ったことのある、ジュージランドの南島、の寒さや夜間の「南十字星」も見たような気がする。「そしてトーテムポールと卵を産んだらそのまま、落ち葉の下の土に埋めるとそのまま、放って置くキューイ」。やがて、地熱で孵化する。後は自立していく。そして「ウオンバット」。
いたるところで温泉が噴きあげている。(5メートル程度)「マウントクック」という山並みや氷河の山脈が青白く麓までが氷の世界。天候にめぐまれたので、氷の世界を希望者だけ、その場で申し込み、セスナ機で上空から、観覧することが出来た。この費用が当時の一般的な観光では、あり得ない程の高額(その場で払い込む)だったように、思うのだ。(保険などはなかったと思う)。
同行の観光客は、セスナがあまりにも頼りなさそうに見えたのと、その安全性に怯えて(条件がよく無風のとき)数人だけが、乗った。氷河があり、山並み全体が氷の世界とあって、青白く光って見えた。(自分と家内は2度とこんな旅行が望めないだろうの思いで乗った)
日本が夏であり、防寒具はかさばり、面倒であったが、分厚い大きなジャンバーを持参して出かけているので面倒であったが、寒さの方は大丈夫であった。
食事は、農家の外で、「羊」一頭その場で処理して、「焚火にあぶって骨付きのままかぶりつく。」これがうまかった。
そして湖水が多かったように思うのだが、夕刻の日暮れが早く、日の出がうんと遅い。観光のバスは朝、真っ暗な時間に出発。次の宿泊ホテルに着いても何も見えない。
翌朝、バスで出発のとき気付いた。夕べ泊ったホテルは、湖水が多い現地でも有名な「ビクトリア湖」沿いのホテルだったのだと、初めて気付いた。成程、昔、大英帝国時代の女王陛下の名をいただいているのであった。(成程、景観は良かった)
寒さの中でこんなことまで思い出している鵜沼じいちゃんです。
立春も過ぎ暦の上では春。
でも、これも「名のみの風の冷たさ」どこかで聞いたことのある歌を思い出しています。
今年だけか、あるいは近年の傾向か?。
寒暖の差が近年著しく、変わる気象になってる日本列島?。(地方によってそれも変わるように思われる)
大方の年配者が感じてると思うが、地球温暖化の問題、もしくはそれにまつわる気候変動。
南極の氷が次々と、柔らかくなって海上に崩れ落ちる風景など、数年または、もう少し前からテレビなどにて放映されてる。容易ならぬ事態と大方の年配者は思っているが、その傾向はいまだ止まず。もしかしたら、人類に対する重大なる警告かも知れない事実が、日常的にテレビ放映されてるが、この問題を大きく取り上げて、アピールする国が、いまだ、出てこない。これはどういう現象か?。
人間社会の終末期が近いのではないのか?。自分はそのように思うこともある。でもそれは、5年~10年の単位では測れないが故に、みんな逃げてるにすぎないように思うのだ。
「ポンペイ最後の日」という歴史があるが、この先、「地球最後の日」みたいなことが起こらないという保証はないのだ。
自分一人のことを思えば、十分に長生きすることが出来たし、戦争もなかった日本。思えば思うほど、良い時代に人生の大半を生きることが出来た自分だ。「有難かったな」それなりの一生を送って逝くことが出来そうだ。
このことは自分の人生を振り返ってみても、実感できるのだ。小さな失敗や挫折はいくらでもある。でも、それは誰にでもあるものであると、承知。
適うことなら、まっとうな最後までの日々。日本の平和と人生の安穏を願うことは大きすぎる願いか?。
昨日が節分。そして今日が暦の上での立春。
「春は名のみの風の寒さよ・・・・・・」
昔、こんな歌が流行ったことがあったな。と感慨に耽ってみた。
しかし、すぐ現実に戻ってしまう。
夢のような現実に耽ることができたのも、はるかな昔になってしまう。
いまの自分は、自分の立場(立ち位置)はこんなところか?。
まあ、現実は現実。夢とは違うのだ。致し方なしだ。
人間は所詮、大自然の中の一部でもあるし、地球規模の大自然を俯瞰してみれば、自分一人のことは自然の中で漂う塵のようなもの。それ以上でも、以下でもない。
人の一生を考えてみても同じこと。寿命が尽きるまでのこと。100歳を超えて生きる人はそう多くない。それどころか、100歳を超えたら体の機能そのものが、かなり落ち込んでしまう。それでいいんだ。100歳を超えた人達が、急激に増えたら、別の面でひずみが出て、社会が成り立たないであろう。
ここのところ、毎朝の冷え込みが厳しかったように思うが、今日は起床時から、趣がちがった。
いつもの厳しい寒さ?は感じられない。テレビの予報によれば、午後から雨が・・・・。
15時頃には降り出したようだ。少しずつ春に近づく足取りが感じられる。
この冬は寒い朝であっても、土の上を歩いていて、霜柱を踏むということもなかった。これは自分の今住んでいる地域だけなのかもしれないが、地域により、寒暖の差がまちまちだということだろう。加齢のためにこの冬は一泊以上のお出かけは自粛していた。自分の身体であっても過信は禁物だ。
後は定期、不定期に病院に通う程度だ。
自分の寿命は不明だが、親、兄姉などのそれは、普通というか、現代であればむしろ普通以上であろう。
敗戦後、厳しい暮らしに翻弄されて、何とか育って来たが、社会に出ようという頃になったら、就職口は全くなし。現在の日本の経済状態、食事の状態を思うにつけ、戦争に負けるということが、いかに惨めなものであったかが分かるし、よくぞ恵まれて、この齢まで「生かされて来たもんだ」の思いが強い。
ここまで生きてくるまでには、あとで考えて「あの時、よくぞ生きてこれたな!」の思いもいくつもある。
これが、「人間として生きるということだったんだ」の思いも、感謝の気持ちも強い。
いま、総合病院に定期、不定期に通っているが、現代の医学の進歩には驚かされている。
「今日は節分」豆を鬼に見立てた魔物に投げつける。(実際は自分の心の内の魔物に暴れださないように。人間とはいかに罪深い生き物であるかを自覚する日である)👇奥飛騨♨郷。
早いのかも。早いと思える思えば早い。
明日が暦の上で「節分」になっている。
古い人間であるがために、そんなことも思い出したりするのである。
実際「現代に生きる日本人?」。である。自分を思ってみても事実は事実。古いやつでしょうが、どうか笑ってやってください。これでも昭和12年の生まれです。
冬になれば雪が降る。夏は暑い。9月1日(ともなれば風雨が必ずくる)すなわち210日(のちには野分が一般的か)必ず、嵐が来る。各地にそれなりに時期には時期の天候が定まっていたように思う。近年はそのような季節到来の感じが全くなくなっているようだ。
地球温暖化の影響であろうか?。それ以外にも原因があると自分は信じているのである。
雪の朝↓