好天が続く
「ポカポカ陽気 」はまだ続きます。それは結構なことなんだけれど自分としては、このことの反動がきっとある。そのことが怖いと思うのだ。
物事には必ず表と裏があるのが当然のこと。
「花に嵐」とは昔からの言い伝え。サクラ満開と裏腹の事象。この春のように、開花の前からずっと好天の日々が続くのは「めづらしい」からだ。
「ポカポカ陽気 」はまだ続きます。それは結構なことなんだけれど自分としては、このことの反動がきっとある。そのことが怖いと思うのだ。
物事には必ず表と裏があるのが当然のこと。
「花に嵐」とは昔からの言い伝え。サクラ満開と裏腹の事象。この春のように、開花の前からずっと好天の日々が続くのは「めづらしい」からだ。
今日の陽気はなんだろう。外に出るときは麦わら帽子が必要だった。
桜は満開。その他の植物、花の苗、宿根草なども一斉に芽を出している。
花などが発芽するのは嬉しいが、植物の世界にだって、順序というものがある。
今日は夏日の気温を記録したと、テレビで知らせている。
この反動がきっとくるぞ。物事には何でも表と裏があるもの。
日照りのあとに、大雨を伴った台風の襲来ということの類だ
なんでもいから、今はこの陽気と春を満喫することにしよう。
自宅にいながら花見を満喫できる。これ以上の贅沢はあまりない。
自宅のフキ ↓
昨日に続き、暖かく気持ちの良い日だ。
狭い庭に出て、芽を出してきた花(宿根草)や木の芽はどうか?。
などと思いながら昨年の秋に「確かこのあたりにあったはず」などと思い、発芽を確認して安堵しているここ数日だ。うっかりスコップを入れて、大事にしてる「宿根草」や「ゆり根」などを傷つけて「しまった」ということもある。
充分なスペースの面積があるわけでもないので、種類にも限りがある。
当然、自分本位でやってるので、宿根草でも偏っているが、これは当然。
このあたりでは今日から明日、にかけて桜満開になるだろう。午前に見たところではそんな感じだった。
すぐ近くにある中学校グランドの外周部の桜も同様だ。自宅から一分でご覧の風景が。↓
昨日に続き好天に恵まれました。
有難いことです。
「サクラが2~3分咲き」といった状態でしょう。自宅の2階テラスからでも見える公園と其の土手の上部に中学校があるが、中学校のグラウンドの土手にソメイヨシノの木が数本植えられていて、今はそれなりにサクラとしては老木だが、何十年と見ているので時期が来れば、それなりに意識してみるし、デジタルカメラにおさめてみたりしている。
さくらの蕾も膨らんで、すぐにでも開くのかと思っていたら、寒さと大雨。
随分長い時間、降りました。その後も不安定な空模様です。でも、今は自宅で障子窓を通して弱い薄日が入ってきだしました。この様子では徐々に天候は回復して来そうだから、明日はサクラも一気に開くのか?。などと思う自分だ。
夜の間、ずっと雨だったようにも感じている自分だったが、今朝は起床時に停電していた。窓を開けてよその家などの様子を見たら少し離れた家は点灯してるし、自分の家だけかと思って、慌てたが、しばらくしたら、正常に戻ってきたが、事前に連絡など聞いていてなかったので、ビックリ。
天候の急変などの要因によるものだろうが、慌てた自分に「いい年をして情けない」と思う。
雨が昨日から降り続いています。我々地区民の思惑とは明確に分けて考えないといけない。
住民は自分本位に考えるし、全体を考えないで物事を考える。
大きい尺度から見ることはあまりにも少ない。
そろそろ花見をと考えていた人にしてみれば、天候に不満を持ってもおかしくない。
反対に「雨が欲しいな」と考えている人にしてみれば、「大助かりだ」と喜ぶことになる。
物事には必ず表も裏もあるものだ。雨の日も晴れの日もある。収穫の時期に台風に見舞われてもどうにもできないのが事実だ。
3月の末になっても、雪国では大雪が降っている。不思議でも何でもないのだ。
朝降っていた雨が、午後になり、やんだがいつまた降り出すかわからないといった感じの空模様だ。
気温も低く寒い。自分の住んでいる地域のサクラはもう一部では開いた花びらもあるんだが、古木の脇芽にかろうじて咲いている感じ。樹木全体をみても、朝から風もなく暖かい日差しをあびれば、きょうにでも開き始めたという状態になったはず。
寒いので外出する気になれない自分だ。
この頃の天候は全く予測がつかない。
爛漫の春到来が待たれる。
晴天に恵まれて、気持ちの良い一日でした。
こんな日は、出来るだけそとにでて陽光を浴びることだと思い昼頃から庭で、スコップで土を掘ったりうめたり、花の根が順調に目を出してくれるか否か、確認をしたりだが、それよりも早く、雑草の方が例年どうり、びっしりと確実に伸びてきている。毎年、この種の草の種はこぼさないように努めてはいるんだが、そこは雑草、風に乗って飛んでくるもの、細い根っ子が残っていて、いち早く、芽をだすものなど。出来れば、「自分も雑草のように強くたくましく、生きれればいいんだが」。などと、この歳になれば思うこともしばしばあり。
待望の春だ。思い切り満喫しよう。
花と緑、そして池の水、野鳥、蝶、昆虫類、すべてが相手だ。
陽光燦燦という表現が当たるほどの有難い天候でした。
そんなにまで思われた「うぬまじいちゃん」です。
冬から早春までの間、寒い、寒い冬でした。
外の方が気持ちがよい天候に恵まれて、最高でした。
最低気温と最高気温との差は随分大きくなって、早朝はこんなに恵まれた気温になるとは予想もできなかった。
ただ、これからも、朝と晩の気温、昼の気温。この差は当分続くであろう。
雨天のときはまた違うけれども。
今日も13時頃から雨が降り出しています。
この時期は雨が多いのは当然です。
春になり、山も畑も川沿いも、森も・・・・どこもかしこも
一斉に新芽が膨らみ、開くためには水をたっぷり含んだ土がどうしても必要です。
山の稜線などを歩いているとよくわかるが、前年の秋に落葉した木の葉などの堆積が多い。
仮に表面が乾いていても、その下に堆積している葉や草は濡れている。
それらの水分が、ゆっくり地面に吸い込んで、枯れ葉や堆積した地面に浸み込み、腐葉土となって新しい
生命を育む。この腐葉土の下にはミミズをはじめ多くの微生物が働いている。
その働きによって木の葉も草も分解されて次の世代を育む栄養源になる。
無駄なことは一切ない。自然とは必要以上に手を加えていいものでない。
一定のサイクルで回っているから、人間だけが例外ではないということ。
このことを、認識しなければならないだろう。(溢れる温泉 奥飛騨温泉郷)
春の日差しを浴びることの喜び。
早朝から明るくなり、夕方も随分遅くまで明るい。
日が長くなったことを実感している。
しだれ梅の花が近所を歩くだけで目立つ。
これは喜びである。など北欧方面に住む人たちにしてみれば日本とは条件が異なるから日本のようなわけには行かない。
でも、そういう地方に住む人たちも陽光燦々と輝く季節もある。そのような季節になれば多くの人たちが、日光浴に適した時期には、一斉に上半身裸になって椅子に横になり、陽光を浴びる人たちを思い出す。
冬眠する動物や、冬季に渡り鳥として移動する者もいて、狭い日本列島とはいえ、全体から見ればさまざまである。
さて、オリンピックのあとはパラリンピックだが、これも日本選手には活躍をきたいしたい。
早朝からの雨、かなりの雨量だ。
これで寒かった長い冬とお別れだ。
朝寝をしていたら、八木山から(その付近かも)キジバトが鳴いているのが聞こえる。今現在でもきこえる。13時。
毎年、この時期になると啼くのだが、毎年同じ個体ではないだろうから、私がいまの地に転居してからの40年近い間。
キジバトも世代を重ねてきているということだ。実際はもっともっと長期間の世代継承である。
自然とは有難いものだ。そして大切なものである。人間の都合のみでなにもかも変えてよいわけはない。
「実るほど頭をたれる稲穂かな」といわれるが、人間だから、なんの迷惑もかけない植物を初め動物、その他の諸々の命を無造作に殺めてはいけないのである。
春爛漫も遠くはない。楽しみにしている。
町内の年度末の総会が、午前に開かれた。(コミュニティーセンター)で。
新役員の引継ぎやら、そのたのお役の方等、についても。適任者が定着している
役の人はそのままで。
住民の大多数が高齢者だ。
若い人もいるが、勤め人だ。早朝から夜まで電車で出かけて夜帰ってくる人は今回の総会にはあまり出席いていない。家にいる人、つまり勤め人でない人がでてくる。当然だ。