人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

厳しい寒さ

2020-01-31 | 後期高齢者

 暖冬だといわれたこの冬。
今日に関してはそうは言えず、強烈な寒さ。
炬燵の潜っていても、しかも昼間でも寒い。日が暮れてしまうと、驚くほどの寒さだ。
82歳の痩せ老人の身なれば、当たり前といえば当たり前なのでしょうが、堪らない。
 今朝も気温が低かったが、体感温度は午後から、特に17時を回るころには痩せた自分として見れば堪らない寒さだ。
昔の人は冬、寒い日が続くと、「冬の寒いのは当たり前、イネや他の作物もよくできるし「漬物が旨くなるぞ」といったものだ。
 いまの「鵜ぬまじいちゃん」の立場では「寒い、寒い」があるだけ。
嫌ですね。寒いのは。でもこの寒さがないと困る人たちも多いことを思うと、贅沢はいえない。こんな寒さの晩は温泉と熱燗が恋しい。
「コロナウイルス」なるものが大変な問題を起こしていますが、ものすごいものです。
 心配性の「鵜沼じいちゃん」としては、これでは「オリンピックを開くことが可能なのか?」とすぐに思いましたが、多くの人の心配を無視してこの新型ウィルスは猛威をふる
うのか気になります。

  


 


午後陽光、気温が上がる

2020-01-28 | 後期高齢者

 天候不順と言うべきか?。
朝は曇りでスッキリしない天気だが15時頃には結構な日和に思える。
 こうなると老人には、昔の記憶を頼りに頭に入っている天候というものは、春は春の陽気。夏、秋、冬もそれに準じた陽気にと頭に刻印されている。
でも、近年においてはそのようにはならないことが多いのだ。というより、自分の頭で思うことの他で全く異なる現象などが、地球上のどこかで発生しているなど、個人が予想できない事柄の方が、はるかに多いのだ。
 自分にしても自分の今日が、明日がこうなってほしいなど、子供のような思いを持って生きてる人のなんと多いことか。
 近年思うようになってきた。正確に言うと、そのように自分を仕向ける行動をとるべき社会なんだ。そうでもしないと日々生きる苦しさだけが、前面に立ちふさがって結局自分が苦しい思いを継続しなければならないことになる。
 いま、82歳と数か月この世に生きたことになるが、過去の生き方を思うにつけ、よくぞ天は教えてくれたものだ。これは稀有なことと思っている。天候のこと、社会の大きな流れの渦に乗り切れて行けるか、考えながらの余生だと思ってる。





朝から暖かな緩い日差しが差してる

2020-01-25 | 後期高齢者

 朝から暖かな、しかも緩い日差しがある日だ。
でも、日差しそのものは薄曇りに被われてるのでこの時期にしては暖かい。
 老人としては有難いかぎりだ。
15時30分ごろ町内の「近隣ケアグループ」のご婦人4人お揃いで、訪問してくれた。
私が82だ。妻が78歳なので、2人分だ。

 慰問にきてくれたもの。これについては年間行事であって、毎年、今頃に訪問を受ける。
テッシュペーパー2箱×2を頂く。私と妻の分で4箱だ。有難いことだが、この地域は高齢化率が高いので近隣ケアの人たちも大変だろうと思う。
 少ない予算の中で、すべての老人に平等に行き渡るべく、品物を決めて各家庭を訪問してくれているのだ。
 買い物に出かけて留守にしていた妻には会っていないが、みな顔見知りの人たち故に、よく分かってる。


まもなく節分だ

2020-01-24 | 後期高齢者

 まもなく節分だ。節分を過ぎると気のせいを通り越して、日脚がのびるし、気のせいか春らしく感じる日も増えてくる。
 自然界に目を向けてみると、このころに里のスズメたちが、集団になることが多い。
民家に近い、集落のちょっとした日差しの中の茂みでよくみられる風景だが、スズメたちが集団になってペチャクチャとおしゃべりに夢中になるのだ。これは自分の経験と観測によるものであるが、このころになると程よい陽気に誘われて、スズメたちも「集団見合い
」をやってるように思うのだ。
 勿論、スズメたちの意識の外のことになるんだと思うが、この集団見合いにより、気の合う相手と意気投合するのであろうと思う。
 数日間のペチャクチャ喧しい程の期間が過ぎると、ある日を期してほとんどのスズメがいなくなるのだ。
 集団見合いで見つけた相手とそれぞれに、愛の巣作りに励むのだ。そして卵の孵化と子育ての期間が忙しい。
 何週間かの期間を経て、それぞれの成長が見られるし、また親から引き継いだ、暮らしの継承に励む。


昨夜来の雨が充分地面に浸み込んだ

2020-01-23 | 後期高齢者

 昨夜来の雨、随分降ったようだ。 
土の中でじっと春を待っていた植物。これらの根が充分湿った土の中で目覚める。
 少し早いようにも思われるが、そこは暖冬の影響もあるのだと思う。
 連日のように、狭い庭で土との対話を継続してる身なれば、そこに生えている植物、草花の気持ちがわかる気がするのだ。
今は、蕗の薹が目覚めたところで、これから少しずつ薹がのびていくのが楽しみでもある。
 昨日は蕗の薹に一部で例年の如く、「蕗みそ」を造って夕食時にアルコール(晩酌)の肴の一部になった。蕗の香りと、その苦みが堪らないのだ。
まもなく19時になる頃だ。
 ブログの書き込みは今日はこれまで。バーイ。



早朝に起床だ

2020-01-20 | 後期高齢者

 自分は現在82歳、5月の誕生日を迎えれば83歳だ。
「思えば遠くへ来たもんだ」とどこかで聞いた歌のようだが、事実は曲げられない。
 「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽く見てはならない」
どこかで聞いた漢詩の中にあったような、無かったようなかすかな記憶だが、日々一寸の光陰を無視し続けて来た結果が現在の自分だ。
 もう駄目だ。間に合わない。しかしあきらめるわけには行かないのだ。生きる力が少しでも残ってる限り、頑張るしかないのだ。
 そう思っていろんなことに挑戦?してみるが、「所詮、駄馬は駄馬」すぐに気がおれるのだ。
 今日の天候はまだ早朝に付き、不明だが、テレビで調べてみれば「晴天だ」。
 ようし、「ガンバロウ」の心境だ。
でも、時間が許す範囲で極力、外に出て狭い空き地のなかでスコップ一本持って、そこらじゅうを掘り返しては、草花を植えてみたり、また土で埋めてみたりといった感じで時間を過ごすことが多いのだ。
 健康を意識するとき、「土いじり」が最も自然に直接触れることができる。自分の健康法なのだ。奥飛騨温泉郷 湯が溢れている。
 

                 奥飛騨温泉郷 ↑ 



               豪雪の集落(新潟松之山 ↑↓)

 


大寒だ。節分まではじっと我慢の日々だ。

2020-01-19 | 後期高齢者

 今は大寒(昔の言い方による)だ。
 寒いのは当たり前のこと。しばらくの間は、じっと我慢の日々です。
やがて来る節分ともなれば、昼間の時間が少し長くなる。同時に昼間の日差しが気のせいか強く感じられるのだ。
 老人たちにしてみれば、待ち遠しく感じるときなのだ。
いまが体感温度で一番寒く感じられるときだ。
 自分(うぬまじいちゃん)も他の老人たち同様、今はじっと我慢を重ねて待っている状態。
老人の場合、この時間も結構気になるものなんだ。
 「早く来い春よ」と思いながらも自らの寿命も確実に減っていくものなんです。
世の大方の老人たちも同じ悩み、葛藤を抱えながらの日々なのだ。
 入浴して鏡に向かえば、いやでも自分の衰えていく、状態に愕然とする日々なのです。
 「子供と一般的な大人」に対して、老人の悩みにというか、ものの見方、捉え方の違う部分はこのことである。
 これだけは誰一人として避けては通れない。


朝からの好天気

2020-01-18 | 後期高齢者

  早朝からの好天気だ。でも、11時頃までは寒かった。その後、日差しが多くなって体に優しい気温になる?。
9時からの長寿会有志のグランドゴルフ(練習など、1時間程度で終わるが成績だけは試合のときと同じ8コース2ゲーム)
 毎日のように参加してるグループでは自分は一番下手だが、一切気にしない。(気にする必要もないのだ)
狭いグランドであるが、夢中になると結構小走りにボウルを追いかけたり、会員同士で適当に話も弾む。もちろん大切なことだが、仲間の会員が下手であったり、失敗した時でも本人が気にしてるところを笑ったりしてはいけない(参加者は心得ている)。
 おかげで、体の健康には最高に貢献してると自分でわかるのだ。
 何といっても食事が旨い。
 これは老人にとり、大切なことであり素晴らしいことだと思う。
 断定はできないにしても毎日の食事が旨いのだ。これは健康で長生きの条件としては大切なことと思うし、できることなら、「このまま生きている限り、継続できれば最高だ」と思っている。
 寝たきりでの長生きは望まない。

 5月になれば、83歳になる」が、若いころには80歳を超える齢まで元気で長生きできるとは思ってはいなかったし、兄姉(自分は末っ子)も今は誰も残ってはいない。少し寂しい気もしないわけでもないが、長男、長女をはじめ、孫たちが何人もいてくれるし、みんな立派に育ってくれてることが嬉しい。
 現代の医学の進歩には驚かされている。
         
          ↓ 溢れて流れている。奥飛騨温泉郷。







             

 


正月気分も切り替えて、いつものペースを取り戻す

2020-01-15 | 後期高齢者

 この冬も暖冬のようだ。
 平成や昭和時代と比べてみれば、歴然とわかると思うが近年暖冬が多いのは大方の人たちが認めるところと思う。
日本だけのことでもなく、丸い地球全体から見ても温暖化してる地域の多いことが、証明されえている。
 自分の生まれ育った地域だけを見ても、冬の積雪量が圧倒的に少なくなってるし、冬の寒さも厳しさも随分違うようだ。
これらの現象の理由は、この呆け頭では理解に苦しむところであるが、いま82歳であと4か月も経れば83歳になる身だ。
 病院で貰う薬の量も、それ相当なものだし、いつ入院だといわれるかもしれぬ身だ。
たまたま、現在の体調がいいだけのことだ。一度体調を崩せば、「いつ入院だ」と宣告されるやもしれぬ身であれば、腫れ物に触るように身を労わらないといけない筈なのに、毎日元気であることから、身体全体をそれに合わせてしまっている。
 朝、昼、晩の食事がそれぞれ旨いのだ。
酒も飲むし、これが格別だ。(焼酎を湯で割ってカクテル状にしたものを呑む)

 昨年までの数年間に比し、いま体調が最高なのだ。
 長寿会のグランドゴルフ(9時~の約1時間、有志のみ参加、家内と共に参加してる)の故か、食事や酒(アルコール)が旨いのだ。あとは狭い庭の土を掘り返して、野菜、トマト、サラダ菜、など思いつくままに植えて毎日眺めてる。
 人間は、もともと土から生まれてきたものだと確信して疑わない。
 毎日、狭い庭の土を眺めて会話しているつもりだ。
そうすれば、ごろ石だら家の庭も、応えてくれるのだ。 ↓ 故郷の雪景色、夜明け(新潟 松之山)



正月も既に五日だ

2020-01-05 | 後期高齢者

 正月の3日も過ぎて今日は1月5日。
そして今日は晴天、明日も晴れの予報。
炬燵に潜って喰ってばかりいては、ろくな結果は出ない。
 今朝のニュースを見てみる。
何といってもカルロスゴーン被告がレバノンに逃げてることや、
 そこまでどういう形で逃亡できたのか?。(レバノンはゴーン氏の本国らしい)。
そしていつ頃には全貌が判明出来るのか。など、何時ものことながら?。
 どうして、レバノンにまでいってるのか。
 日本の警察、検察は何故、その身柄を無拘束、自由に外出 が出来る状態にまで譲歩してたのか?。
庶民の末端にいる一人の老人としても考えてしまう。ゴーン被告自身にしても、何と短絡した考えであったことか。

              温泉があふれている。




全面的にからっとした青空が見られない

2020-01-04 | 後期高齢者

 この地方では朝一番の天気予報(晴とか曇りとか)では晴マークが多い。
でも日中の天気は晴れてはいるが、太陽が直接は見られない日が多いのはなぜか?。
 勿論、テレビの予報で晴マークの日には雨は降りません。
でも、太陽が出ていても雲に被われていて、一般大衆の目には、雲に被われた太陽しか見られないのだ。
 それでも晴は晴れだし、有難いことだが、真夏の太陽のように、直接には見られない。
 自分がたまたま見ないだけなのかもしれないし、各地方を細かく分割した状態で見たら時間によってはみられたのかもと
思うところだが、老人はつまらぬことにこだわるものだ。
 いずれにしても新年である。
 あとは大寒とか、節分とかの暦の上の日々を経て春に少しずつ春に。
新潟県の豪雪地帯の生まれ育ちの自分だ。
 雪の多さや、また寒さにも負けないつもりだが、齢の数には負けるのかも。
この際、そんなことは忘れてポカポカとした、花の春をまとう。
 正月が過ぎれば「春も遠からず」だ。
とりあえず、タンポポの花が見られるまで、を楽しみにしよう。
 タンポポの花が開けばあとは一気に春だ。
 ヤマサクラ、桜、染井吉野など。春全開だ。
 このように思うこと自体が、自分の齢が前面に出てくるのだ。


令和2年 おめでとうございます。

2020-01-03 | 後期高齢者

 令和2年 あけましておめでとうございます。
ここのところ、自分の住んでる地方は寒暖の差が大きいように思われてなりません。
 自分は昭和12年5月生まれの、現在82歳です。
 はっきり申しますと、この年齢になるまで、生存できるとは思ってなかったんです。
でも、それがよかったのか、それとももう少し、早くに逝った方がよかったのかは現時点
では不明です。
 50歳代や60歳代の頃にはとても80歳を超える年齢までは、元気で過ごせるとは

思っていなかったんです。
 両親は結構早く、兄弟も戦争と前後の影響もあったかもしれませんが、姉の一人を除いては
 すべて80歳を超える齢までは生きれなかったんだ。
 この年齢になって分かったことだが、世間は平穏だし、食べ物類は本当に贅沢三昧しています。
この平和な時が、末永く続くように、国民の一人として、努力しなくてはと思っています。
 戦争に駆り出されることもないし、職場のことにしても、今ほどのことはないにしても、それなりに
恵まれ、立派な上司にも恵まれた。
 自分で、もったいない状態で過ごした気分だった。

 余命はどれほど残ってるのかは不明。最後まで頑張る。
 自分では最後の生命を全うしなければの思いで頑張ろう。

                   岐阜県関市で