人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

冬です

2018-01-14 | 

 寒さもそろそろ峠?。といったところか。
雪は今年も降らずにここまで来ていますが、この先はどうかな?。
  テレビの天気予報などを聞いていますと、寒さはともかく、降雪については例年というか、本来降るべきところはともかく、例年、殆ど降らない筈の地域で降っているみたいです。
 例年豪雪と言われる、地域で生まれ育っている自分としては、どことなくしっくりしない感じなのは、何故か?。
 それは当たり前でないからでしょうね(今年は異常だと思う自分だ)。
例年、11月下旬には必ずと言っていい程、初雪が降る、それも、10~15cm程度で。以後、気圧配置が西高東低になってくると、ジャンジャン、というか静かにというか、もさもさと静かに、ただ積もっていく。やがて屋根の雪が温かい日に一気に軒下に滑り落ちるといった日々が、しばらくあって気が付くと根雪になっている。
 家じゅうの窓には屋根からの落下する雪で窓が壊れるのを防止するために、二階は別にして、一階は、窓の「はめ板」を用意する。雪の量が増えるに従い、事前に用意された「はめ板」を一枚二枚と増やしていきます。志賀高原や近くの高天原辺りでは、現在もこれを使っている。
 茅葺き屋根の場合だと、コーナーの部分はカヤより丈夫な葦(よし)を使う。
晴れたり降ったりを繰り返しますから、屋根のコーナーには太く長い、しかも重量が数100kGを超える状態になる。長さも相当なもの。先端が積雪に突き刺さり、茅葺き屋根を壊してしまう状態になると、マサカリ(斧)で氷を割って切り取る。その間に時間ができれば藁細工に励むとか、戦後、社会が落ち着いてきてからは、現金も必要になり、出稼ぎに出る。(それまでは自給自足で生活、味噌まで自宅で造った。それも一年分だ。豆を煮る大きな鍋付きの道具は集落に一基だけあった)。春先持ち回りで使った。
 春先、雪が閉まり、朝、藁靴で雪の上を飛び回っても、潜らない。
こんな頃になると、雪の事故が多くなる。古い時代から、雪の事故は数知らずだ。
小さな流れも雪解け水で増えてくる。土手の上で雪と土の斜面の間に挟まって出られなくなるなど。
 街に出ようと思えば、夜も明けやらぬうちから、藁で作った重装備で峠の尾根伝いに山を越えて、停車場(駅)に向かう。(尾根伝いでないと雪崩にやられる)停車場に付くと駅前の家にて、その家の玄関で重装備を解き、町に出る支度に変える。支度が済むと、「さて、今日は汽車は何時ごろ来るんだろうね?。」と言った話になる。やがて、汽車が付いたら街に出る人は、そのまま乗って出かける。
 荷物などを背負って、そこまで送ってくれた屈強な男の人は、町に出る人の装束、蓑など、藁靴に至るまで、すべてを背負って雪道を早朝に出た集落まで引き返す。そんなことを思い出している自分だ。雪道を深夜まで歩き続けて結局。親戚の家に一泊させてもらったことがある。当時の生活を思い出すと、同じ国である日本が、あるいは世界がこんなにも変わったんだと思った次第だ。


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