goo

大晦日は曇天

 やってきました大晦日。
大多数の方々にとっては、年頭に思ったこと、あるいは決意したことの「半分もできなかったなあ」。
 こんな思いを持つっている頃かな?。
 今朝からは小雨が降っています。心がスッキリしない感じです。
天候のことだから、何ともなりませんが、せめて今日、明日の元旦は晴天であれば良かったがなあ。
でも、いつかはまた晴れれの日が来ると思えば、何ともありません。
 私も、齢が重なって、傘寿も過ぎた。この先、どれだけなどと言えない。一日ごとに、「今日一日」また「今日一日」と生きていくだけだ。
 そんな状態の中でも、「自分の出来ることを出来るときにやる」の思いは忘れずに実行しようと思う。
 2018年が日本国とすべての国民が幸せであること。そして戦争が勃発するような大事が起きないことを念じて、終わります。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

年末年始の過ごし方


 この時期、例年のことだが、大晦日の紅白の話題がテレビの話題に上るのだ。
年末恒例ととはいえ、もう、随分と長いこと続いているんじゃないか?、とも思う。

若いころ、数回(記憶による)見たつもりだが、途中からは見ないのが当たり前になった。
 年々、社会も世代も価値観も、それなりに変っていく。
当たり前のことだが、国民の占める年齢構成、社会の変化。そんなことにも影響を受けるのはこれまた当然。
最近、NHKのテレビを覗いていると、紅白の話題が頻繁に出るように思うのは自分だけのことかな?。
それゆえに、当日はその時間まで(始まるとき)お酒をチビチビやっているが、紅白の時間になるとさっさと寝る。
といっても、眠れる状態ではない。家内がずっと見ているから、テレビの音声が結構やかましいのだ。




               晴天のとき



         消火栓(コンクリート官に4方に穴が開いている)↑

       





コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

年末 27日

 年末、12月27日になってしまった。
いまから、やれることは限られる。今年も結局なにもやれぬまま、終わることになる。
 今朝は、8時頃でしたか雪が激しく降ったが、すぐに止んだ。以後は良くもなく、悪くもないままの13時すぎだ。
 「今年の漢字」というのが12月になると例年テレビで流れるが。2027年の漢字は「北」ということだった。何故かと思ったが、北朝鮮がロケットの乱射を繰り返したからだという。
 国交のない日本では何を考えてのことかは不明であるが、日本列島の上空をロケットが横切るなど、迷惑千万なること、著しい。
 ひとりの権力者が、国民に目を向けることは何もなしに、自己顕示欲に従って人の迷惑などは一切考えずに、ロケットなどをぶっ放す。一方では国民大衆は餓えに苦しんだり、脱北を目論んだり、それを実行したりということが、いつはてるともなく続く。
 絶望感がまだまだ続きます。来年は良い年になりますようになどと、テレビでいってますが、来年の冬季オリンピックが韓国で実施されるはずだが、無事に実行、出来ることを思うだけだ。





コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

移築された古民家

 私が高校生の頃だから、60年以上前のこと、生まれ育った実家(新潟県の豪雪地帯)が伊豆半島の大仁農場に古民家として、移築されている。随分以前のことになる。
 社会人になってから、10~15年の頃に、2回訪問している。
懐かしい思いで往時をしのんだものである。
 当時は、あまり変化がない感じでもあったが、それ以後に相当な年数が経過している。


                 18世紀後期とあるがそれからの期間も長い)



                   屋根裏が見れるようにしてある


               (よく見たらスクリンプラーもせっちしてあるようだ)

              


                   広大な農場である。(自然農法)

                            



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

寒い冬、待ち遠しい春

 寒い日が多くなりました。今からそんなことを思うのもおかしなことだが、年々寒さが身に応える度合いが強く感じる。
昨年末、肺炎で入院した、はっきりしたことは本人である自分でも分からないのだが、定期健診で通院のつもりが、そのまま入院という羽目になる。その間、深夜に病院の最上階を徘徊したようだ。
 いろいろと治療やら、点滴やらやってくれたと思うが、自分では覚えている部分と、そうでない部分とが重なったりして、どこまでが現実でどこが幻覚なのか不明である。
 真っ暗闇の中を遠くからまっすぐな光の光線が自分の右目玉の真ん中に入ってる。でも、自分では目玉は痛くない。長い人生の中で初めての体験だった。
 この年末はそのようなことのないようにしたいと思う限りだ。
 自分が思ってもどうにもならないことだが、この年末は、何とか無事に過ごしたい。
そして、爛漫の春を元気で迎えることが目下の目標である。(春の高山↓)

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

年末が近づいた

  年末が近づいてきた。寒い日が続いているが、今日の昼間は風もなくあたたかな日であったと思う。仲間とグランドゴルフに興じた。
自分が住んでいる付近は目下積雪がないから、有難い限りだ。
 生まれ育ったところは新潟と長野の県境に近い辺りから山間部(新潟県)に入って数キロのところだ。今は大雪もあまりなく、山をけづって
つけられた県道を走っていたボンネットバスも冬は雪崩の危険があるので、中止になる。現在は峠を穿ったトンネルの連続で冬でも除雪されるのでチェーンをつければ、通行可能な筈だ。
 それでも、国道以外は、昔とあまり変わらないと思う。(何十年もご無沙汰してるので詳しくは不明)
 近くのスーパーマーケットでも正月用品が目立つようになってきた。
 「もういくつ寝るとお正月」の歌があったように、子供にとってはやっぱり「お年玉」が第一の関心事。
 もし、子供の数が多くて小学生あるいは中高生のいる親たちにとっても、やっぱり関心事。ただし、こちらは経済についての問題。
 親なれば、だれでも子供が可愛いし、大切。

 



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

中学校のあったかクラブ

 昨日午前、地元の中学校の生徒が近くの家庭を訪問、草むしり。家の中の片付け、ガラス拭きなどにグループごとに分かれて、9:30~11:00の時間を決めて来てくれた。
 もちろん事前に年末でも片付けや掃除ができないと判断された家庭を訪問。時間の範囲内で、手伝ってくれるというもの。
 何年も前から、そういうことが行われているということは、聞いたことがあるのですが、事前に地域の係りの人から話があったので、その時点で自分の家では、確かに加齢の夫婦だけだが、大抵のことは自分たちでできるからと、お断りしたのだが、教育の目的から照らして、地域の人たちとの触れ合いが大切であると毎年実施されている。また、この地域は住宅団地が出来たのが一緒で、入居した時期もあまり変わらないところから、若い世代の人たちは、この団地からはほとんど出てしまっている。
 来てくれたのは、男女4名の生徒。早速、手はずのように取り掛かる。40分ほどの時間が経過したところで、終了としてもらい、自分たちの孫の世代なので、(離れて住んでいる)希望して、私ら夫婦と話し合いの時間をもってんらった。
 十分な時間がないのが残念であったが、実際の孫たちと話をしているような気分で、進路のこと。将来のことなどについても各人についてはわずかな時間であったが、それなりに有益な充実下時間がとれたとおもう。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

晴天なれど風は冷たい

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

断捨離をすすめる

 12月11日、朝から曇天だ。風もそれなりにあり、体感温度は低い。朝の天気予報では日中の気温は昨日より数度は高いということだったが、そうでもなさそうだ。
 12月の10日だ。大掃除でもと思う頃ではあるが、その気にはなれない。その代わり、二階に全く利用することのない和ダンスがある。
 中身の着物を過日、「古着を買い取ります」の看板を掲げてある店に行って聞いてみる。「着物があるが、どうにかしてくれるのか?」と。
 「着物は一切扱ってないよ」。の一言で終わり。看板に偽りが。「何を買い取ってくれるのか?」と私。更に聞いてみると、古びた「ジーンズ」だという。それも19**年頃に制作された証拠が明確でなければ、駄目だということ。これって、どこかおかしい商売だと思う。「看板を書き換えるべきだと」抗議の一言が出かかったが、こんな輩に話しても所詮無駄なこと。さっさと引き上げる。
 つらつら思うに、「大変な時代になったものよ」とはじいちゃんの反応。現代という時代はこんなことにいちいち立腹してたら生きてはいけないんだ。のんびり行きましょう。人の思惑やら、忖度などは今や無きに等しい。
 寂しいけれども致し方なし。日本の良き伝統も何もかもなくなる。未来を担う若い人達はスマホが無ければ一日たりとも過ごせないとは。
「老兵は消え去るのみだ」「残念至極に候」。










 

 

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

師走

 12月9日(土
 朝は昼近くまで、いい天気で風もなく、「気持ちいいね」とグランドゴルフの仲間と話しながらの、軽い運動だった。
昼近くになると、全面的に雲に覆われてしまう。
でも、12月なんだし、しょうがないか。しばらくの間、公園で興じる。昼過ぎからは、若い時、といっても、61才以後のことだが、自分で作って楽しんだホームページをCDを開きながら、眺めているうち、「なかなか良くできてるな」と理由もなく思う。画像もふんだんに入ってるし、それぞれにリンクも貼っていて、項目が違っていても、画像や、文章の一部にもリンクが貼られている。
 しかし、感心してる場合ではない。もう一度、当時のように思う存分、自分のホームページを作りたい。それには、壁がある。脳梗塞で倒れて入院したことが2回ある。今はほとんど認知症とも言っていい程の身体だ。年齢も今は80才。画像は手元にあるバカチョンカメラで日常、思いのこもった場面、季節感、自然のあるがままの場面など、なんでもいい。
 まだ、人生終わるのはもったいない。頑張ってみよう。(↓花はホトトギス)

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

ポカポカの12月

 今日は、朝は冷えて寒かった。昼近くになったらポカポカ陽気で気持ちの良い日になった。
寒い日、暖かい日、雨の日と入れ混じって日替わりでやってくるように思われて、
この老体、「うぬまじいちゃん」としては体の方が付いて行けません。
 だからと言ってどうなるものでもないし、置かれた立場をまるごと受け入れるしかないのですが。
まあ、現在の与えられた状況を素直に受け入れることにしましょう。







 

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

好天なれど冷たい風が朝から

 朝から冷たい風が吹いていて、正午になっても夕方近くになっても収まらない。テレビの天気予報を見ていると、なんと
なく分かったようながするが。
普通はこんな風は日没を過ぎればすぐに収まるんだが、今日の場合はどうか?。
 
ごく最近、パソコンを開いて(今もそうだが)昔、自分で作ったホームページのCDを見ている。当時は当たり前のこととして日常の趣味で制作したことだったのに、いまの自分にはできない。パソコンに触れるのは、何か不明のことを検索する為に開くだけになっている。昔、自分で作った作品などが、CDに入っているのを、探し出して、見ては懐かしがっていた。
 すべては自分が脳梗塞で倒れて入院してるので、そのせいであると思ってる次第だ。
 体の方はそれなりに回復したつもりではいる(自分では)が、実態はそんなに簡単なことではないんだって近年になって分かった。病
院にはもちろん定期に通っているし、あらゆる検査、主に頭(脳の検査であるがそれだけでも大変なものだ)。
 そして、そのことは生きてる限り続く。長女が看護師をしてるので、大抵の場合は休みを取ってついて行ってくれたし、家内は毎回朝から付いて行ってくれている(当然一日がつぶれてしまう)

 今日は会う人ごと「に寒いですね」だ。
 いよいよ本格的な寒さだ。いつ、雪がチラついてもおかしくない状態になっている。
 我が家は築50年の古い建て方の土壁の家だ。隙間も多い。
 これから春までがじっと辛抱のときだが、何とか年を超えて暖かい爛漫の春を迎えたいものだ。
町内でも、どこそこのご主人が、あるいは奥様が入院したとか、時には亡くなったなどの知らせを聞くことも多くなった。
 いまの自分は、他人事としてとらえることができない。
 家内と二人で、2階の箪笥やら、家じゅうの差し当って使うことのないものを、処分すべく始めた。細かいものは一年ほど前から始めたことだが、なかなか進まない。
 でも、残していてもあとで、もっともっと困るのは当然。ここは思い切って断捨離だ。



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

ふるさと松之山

 師走になって今日は既に3日だ。ある先生に教えてもらったことを思い出した。
人は誰でもこの世に生まれてからの年月と、これからあの世に行くまでの年月の割合のことだ。
 つまり、生後80年(80才の人)と10才の人と比較したと仮定してみよう。
前者は長年生きた分、残りはそう多くはない筈だ。後者はこれからの人生が長い筈である。(例外もある)
 自分が生まれ育った家や家族、兄姉(自分は末っ子だ)
 兄弟けんかを繰り返しながら大きくなってきた。太平洋戦争を挟んで、物や食事の貧しさや、教育の貧弱さも含めて
いろいろな経験を積んでの現在だ。
 豪雪の里で生まれて育った家が現在もあるのだ。築年数は不明だが、私が10代のころ、古民家として移築されている。
現在もあるが、伊豆半島の大仁(おおひと)と
いう町の山の方に車で数10分入ったところに建てられている。(若い時見に行った時に玄関前に建てられていた木札に地区推定300年、当地一番の古民家である)それからでも50年以上は経過してる。
 移築に伴い屋根のてっぺん等に若干違うなと思ったが、まあ、文化財などの保存とは違うのだからと思っている。
若い時に見に行ったが、その後ネットで調べてみたりしている程度だが、同じような感じの家が数件建てられているけれど
自分の実家が一番の古民家であるということから、丘に数件が立っているのだけれど、たぶん条件の一番良いところに建ててもらっている。嬉しいことだ。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

12月1日

 ついに師走。結局今年も 何もやらずに済んでしまう。
何もできなかったなあ。何かやってから人生の終焉を迎えたいものだ。
 昨年の12月は、年末ごろに入院することになり、どうやら本人の私が思っていたより、重症だったようで、一時は記憶がなくなってしまった。深夜に病室を無意識に抜け出して、病院内を徘徊老人として動き回っていたようだ。
 数日後は新年を迎える状態の中、「めったに会うことのない息子や長女たちが来てくれた」。
でも、本人の私は覚えていない。
 病院でも、早く退院させて、家で正月を迎えさせた方が、状況がよくなりそうだと判断したようだ。
 12月30日だと思うが退院させてくれた。
今年も12月を迎えた。でも、去年と異なり、体調も良く食事もおいしく多く採る状態だ。
昨年末を思うと、何かが吹っ切れたように思われる。
 このまま、無事に年を越せるように思うのみだ。
 

 

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )