人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

一枚の古い栞

2018-12-19 | 師走

 歳末も確実にやって来る。
自分の齢になると驚きも期待もない。
 まだ社会人として自立できていない孫たちにやるべき、お年玉の工面程度だ。
後は、何も予定もなし。考えることもなしだ。
 古い家の玄関横、奥の空き地のミョウガが植わっているところ辺りに
来春には、ブドウの苗を一本植えて見ようかなどと思っているところだ。
 テレビの台に使ってる箱の中から、書籍に挟む栞が一枚出てきた。
見れば「丸岡城・日本一短い手紙の館」とあり、
 「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬 肥やせ」とある。

5弁のサクラと思える「マークとお城」がが入っている。
たしか「山内一豊が城主」だったところだ思い出した

 


断捨離をすすめる

2017-12-11 | 師走

 12月11日、朝から曇天だ。風もそれなりにあり、体感温度は低い。朝の天気予報では日中の気温は昨日より数度は高いということだったが、そうでもなさそうだ。
 12月の10日だ。大掃除でもと思う頃ではあるが、その気にはなれない。その代わり、二階に全く利用することのない和ダンスがある。
 中身の着物を過日、「古着を買い取ります」の看板を掲げてある店に行って聞いてみる。「着物があるが、どうにかしてくれるのか?」と。
 「着物は一切扱ってないよ」。の一言で終わり。看板に偽りが。「何を買い取ってくれるのか?」と私。更に聞いてみると、古びた「ジーンズ」だという。それも19**年頃に制作された証拠が明確でなければ、駄目だということ。これって、どこかおかしい商売だと思う。「看板を書き換えるべきだと」抗議の一言が出かかったが、こんな輩に話しても所詮無駄なこと。さっさと引き上げる。
 つらつら思うに、「大変な時代になったものよ」とはじいちゃんの反応。現代という時代はこんなことにいちいち立腹してたら生きてはいけないんだ。のんびり行きましょう。人の思惑やら、忖度などは今や無きに等しい。
 寂しいけれども致し方なし。日本の良き伝統も何もかもなくなる。未来を担う若い人達はスマホが無ければ一日たりとも過ごせないとは。
「老兵は消え去るのみだ」「残念至極に候」。










 

 


師走

2017-12-08 | 師走

 12月9日(土
 朝は昼近くまで、いい天気で風もなく、「気持ちいいね」とグランドゴルフの仲間と話しながらの、軽い運動だった。
昼近くになると、全面的に雲に覆われてしまう。
でも、12月なんだし、しょうがないか。しばらくの間、公園で興じる。昼過ぎからは、若い時、といっても、61才以後のことだが、自分で作って楽しんだホームページをCDを開きながら、眺めているうち、「なかなか良くできてるな」と理由もなく思う。画像もふんだんに入ってるし、それぞれにリンクも貼っていて、項目が違っていても、画像や、文章の一部にもリンクが貼られている。
 しかし、感心してる場合ではない。もう一度、当時のように思う存分、自分のホームページを作りたい。それには、壁がある。脳梗塞で倒れて入院したことが2回ある。今はほとんど認知症とも言っていい程の身体だ。年齢も今は80才。画像は手元にあるバカチョンカメラで日常、思いのこもった場面、季節感、自然のあるがままの場面など、なんでもいい。
 まだ、人生終わるのはもったいない。頑張ってみよう。(↓花はホトトギス)


ふるさと松之山

2017-12-03 | 師走

 師走になって今日は既に3日だ。ある先生に教えてもらったことを思い出した。
人は誰でもこの世に生まれてからの年月と、これからあの世に行くまでの年月の割合のことだ。
 つまり、生後80年(80才の人)と10才の人と比較したと仮定してみよう。
前者は長年生きた分、残りはそう多くはない筈だ。後者はこれからの人生が長い筈である。(例外もある)
 自分が生まれ育った家や家族、兄姉(自分は末っ子だ)
 兄弟けんかを繰り返しながら大きくなってきた。太平洋戦争を挟んで、物や食事の貧しさや、教育の貧弱さも含めて
いろいろな経験を積んでの現在だ。
 豪雪の里で生まれて育った家が現在もあるのだ。築年数は不明だが、私が10代のころ、古民家として移築されている。
現在もあるが、伊豆半島の大仁(おおひと)と
いう町の山の方に車で数10分入ったところに建てられている。(若い時見に行った時に玄関前に建てられていた木札に地区推定300年、当地一番の古民家である)それからでも50年以上は経過してる。
 移築に伴い屋根のてっぺん等に若干違うなと思ったが、まあ、文化財などの保存とは違うのだからと思っている。
若い時に見に行ったが、その後ネットで調べてみたりしている程度だが、同じような感じの家が数件建てられているけれど
自分の実家が一番の古民家であるということから、丘に数件が立っているのだけれど、たぶん条件の一番良いところに建ててもらっている。嬉しいことだ。


松が丘いきいきハウス 3月

2015-03-20 | 師走

 今日は「松が丘イキイキハウス」3月の実施日。地区コミセンで予定どうり、大谷泰史氏によるエレクトーン演奏(大谷氏は私の記憶では今回で2度目。ベテランだ)1時間30分きっかり、演奏を聞かせてくれた。そのあとは参加者一同、いつものように全員で大合唱だ。思い切り、大声をを出して解散。それでみんな満足。終わりだ。イキイキハウスもボランティアで行われている。出来るだけの協力はさせて貰っているが、有難いことです。


春3月

2015-03-02 | 師走

 春3月、遂にやってきました。待ち遠しかった春です。後、一か月程すると櫻(ソメイヨシノ)だ。自宅の前が道路をはさんで中学のグランド。グランド下は公園でその土手には櫻が何本もあり、垂れ下がる。樹齢も良し。花が咲くと私は毎朝一番に花を見ることから、一日が始まる。櫻は朝が一番「・・・・朝日に匂う櫻花かな」万葉集か何かにあったようだ、それは忘れたが、櫻は朝日を浴びる瞬間が一番きれいだと思っている。ずっと以前に名所「高遠コヒガンサクラ」を見に行ったが、自宅を深夜に出発。現地には7時前に到着。朝日に匂う櫻を堪能し、会場が混み始める前に帰路に。当日はその年の満開日。日本一の最高の桜を満喫できた。ところで、この辺りではいま、梅の花が満開だ。公園にも一本あって今、満開だ。(下は公園の梅)


寒さと雪(3)

2014-12-19 | 師走

 忘年会、、クリスマス商戦、そして雪です。時の流れ、その速さは齢の数に比例するように感じる私です。年末が目の前に、迫っています。「そろそろ年賀状でも」と、思ってる私です。まずは「断捨離を」と。どうしても義理を欠かせない人もいます。家内と二人分で三十枚だけ用意しましたが。
 今回は「ふるさとの豪雪」の写真を利用しようか。積雪もありそうだし。
どこまでも手抜きを考えてる自分に気付いてます。数年前のものですが、今冬は寒さのみならず、積雪量も予想される勢いです。
 脳梗塞の後遺症と齢の交錯があって、「やるぞ!」の気分がいまいち。


寒さと雪(2)

2014-12-14 | 師走

 やってきました。みぞれというべきでしょう。水分をしっかり含んだ、白いものが未明から続いています。時期的には早くはありません。「由る齢波に勝てず」の諺通り、誰でも、どのような権力者でも平等です。「驕る平家は久しからず」も然り。その理屈はよく理解できますが、この寒さには、痩せこけて皮下脂肪もなく、気温がそのまま、体全体に及ぶ。骨まで冷えます。夏から、天候不順でした。12月ですが、やっぱり不順?。この傾向は、今後、数年間、もしかしたら、ずっと続くのかも。地球が変動期に入りかけたのかな?。かつての氷河期とか。でも、人類が地球上に出現してから、たかが数万年、そして、今の人類が滅亡していなくなるのは、おそらく、数千年以内ではないだろうか。太陽が中心にあっての地球。視点を変えて人類を観察する学者はあまり多くはないと思う。限られた範囲での人類であり、その繁栄、盛衰を思えば、繰り返しになるが、この地上に生を得たものは平等だ。人類のあと、地球を支配するものは何?。

 


寒さと雪

2014-12-05 | 師走

 やってきました。寒さと雪、あたりまえの現実、これが狂ってしまえば、結果的に困る事態になる。
この現実を素直に受け入れなければならない。
天気予報では、雪だるまが目立って来ています。
私のふるさとは豪雪地帯で知られたところですが、今年は今日が初雪。子供のころは11月20日頃の初雪ときまっていた。
初雪が、消えて、又、降って消えて。これを2~3回繰り返して根雪になる。春までは消えない。年末には屋根の雪堀り作業が既定のものだった。
近年の気候は、暦通りの気候というようなことが無くなって、例えば「年末大掃除はいつごろ」とか、「炬燵はいつごろから」正月の餅つきは年末の〇〇日に、といったことも聞かなくなって久しい。
明朝、どんな様子になっているかもわからない。日没ごろ、空をみたら星空だったが。
菊の花、皇帝ダリヤ、トランペットといった花はどうか。そしてトカゲ、カマキリ、タヌキ、アナグマ、イタチ、そして蟻、蜂などの昆虫類、みんな冬の備えが出来ているか。私の好きな猫たちも炬燵を確保できたか。自然を愛する私だ。今日は昼にボランティアグループ「いきいきハウス」の忘年会に参加。明後日は地元長寿会のカラオケ忘年会。「もう、こんな季節になったか」月日の流れのはやいこと。驚くばかり。
 

 


師走

2014-12-01 | 師走

 天候不順のまま、師走に入ってしまった。この雨、晩秋からの延長だろう。私の一番嫌いな季節がいまだ。寒いし、そのうえ雨だ。動きが鈍くなるのも致し方なしといったところ。ドカーンと雪でも降って積もってしまえば、それはそれで「ブツブツ」言いながらでも、豪雪地帯の生まれ、育ちだ。心配はしない。近年、気候の変動が著しく、体が覚えている季節感が通用しなくなった。食卓に並ぶ「おかず」「ファッション」なども種類がますます豊富になって、それはいいのだが、そこが敗戦前後の日常生活を知っている「うぬまじいちゃん」にしてみれば、これでいいのかと思ってみたりもする。私など明日にでも死んでも当たり前のようなものにしても、今の日本の(日本人の)在り方に疑問も湧く。総選挙が始まる。候補者は何党であれ、所詮人間だ。自分を中心に考えて生きている。