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一気に春が来た

 今日の暖かさは何と言ったらいいか、「いっきに春が来た」という感じ。外を歩いていてもきもちいい。

 今 朝のテレビで「今日は雨水です。」と言ってたと思う。昨日までの風の冷たさを思ったとき、「春を実感」。ありがたい限りだが、いずれまた、凍てつく冬が来ることは、きまっているが、今日のところは春を満喫しよう。






 



 

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苧が瀬池 波高し

 一晩、猛烈な勢いで雨が降った後では、寒さの峠は越え、春に向かうものと信じた自分の「単細胞人間」ぶりに驚いている。風の冷たさよ。
 痩せこけて、「俺は骨皮筋衛門だ」と長年自覚してきた。
 入浴のあと、すぐ、体重計に乗るのも習慣になっている。脂肪をを皮下に蓄えていないので、外気温がまともに体に感じるからだと信じて疑わなかった。

 暖冬と思っていたが、この寒風だ。「早く来い来い。春よ来い。爛漫の春よ」待ち遠しい。


 

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春一番は過ぎたが

 気象庁によれば、一昨日の夜来の大雨と風は「春一番」、ということだ。季節の移ろいは、早いもので、晴天ならば日照時間もかなり延びたことを感じる。午前に散歩で「苧ヶ瀬池」あたりを歩いたが、風強く、しかも冷たい。

 このあと、国府宮の「はだか祭り」であるとか「田県神社の豊年祭り」とかがあって、一気に春本番を迎えることになる。懐かしいことではあるが、いま「うぬまじいちゃん」にとっては、「もう、そんな時期かよ」といった感じである。待たれるのは、花いっぱい、新芽、若葉でみたされる「八木山、愛宕山」などである。
春は我々人類にとって古来、憧れの季節であったことであろうと思う。

 私にとって待たれるは「爛漫の春、花々によって満たされる春」、それだけといってもよいだろう。人は加齢により、弱気になるものだということを実感している。「八木山のミツバツツジ」と「シャシャンボ」それも山頂にある、それぞれ一本づつ。私の心に生きている限り、元気でいなければならない

 佐渡のトキ保護センターを見に行った時の写真かと思います。少し古いものです。

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2月13日

  少年老い易く学成り難し
 
一寸の光陰軽んずべからず   
 い まだ覚めず 池塘春草の夢
 階前の桐葉 既に秋声
  
 20代の初めころ、愛読した「唐詩選」のなかにあった一部分である。
当時、中国の歴史に興味があり、愛読したものである。

  20歳のころ、愛読した「唐詩選」の一部分であるが何故か、いま、思い出している。この本は今も、処分されずに残っている。いろいろなものが、ことあるごとに、捨てられて、今、自宅の二階はガラーンとして、何も残ってはいない。この小さい本二冊(上下)があるということは、もう二度と読む筈もないのに自分の心に愛着があるためだろう。中国という国はとてつもなく、古い歴史を持つ。出張で一回、観光で2回、出かけている。西域の敦煌から内陸の「西安」、そして「襄はん市」

 日本に例えれば古都、奈良や京都にでも例えられるのかも。しかし、3000年以上の歴史が残っている国なればその文物はものすごい。万里の頂上然り。
 秦の始皇帝然り、兵馬庸抗博物館、その他、数え上げればきりがない。

 毛沢東の蜂起に敗れ、台湾に逃れた蒋介石。

 現在の中国は一党独裁の国。わたしは嫌いだがこれが現実。そして国連の常任理事国だ。

 広大な大陸であるが、耕作できそうなところはまずない。いろんな工夫がなされている。西域に至れば自治区もあり、多民族もいる。

 我が家の猫の額もそろそろスコップでかき回し、遠くない春の到来を待とう。植物は土の中ではすでに活動を始めている。

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