今日は正月早々ですが、通夜に生きます。
長男の奥さんの実家でお母さんが急に亡くなられたからです。
そして明日が葬儀。岐阜市まで行きます。
私たち夫婦とあまり年齢が変わらないと思ってましたが、
残念なことでした。
自分もそして家内も考えて置く時期に来ていると自覚
しなければならない。
私の実家付近の雪景色 ↑
我が家の玄関横の花です ↑ (寒さにつよいですね)
朝が寒い
朝が寒い。それは冬だから当たり前のこととして、最低気温の特に低い朝と、予想したような感じの朝であるかである。
自分が老人であるので、寒い朝はそれなりに寝具も考える。しかし、予想したような寒さの朝があれば予想を裏切る寒さも多い。体調管理には気を使っているつもりでも、裏切られることも多い。頭の方も弱ってきてるから、健康管理は面倒だ。でも生きてる以上、人任せにというわけにもいかない。
自分で出来る範囲のことは、自分でやらなくてはならない。
頭が呆けてくるということは、実は大変なことなんだって思い知らされている。
自分でかって予想したようにはいかないのだ。予想より長く生きてるってことだ。
平成最後の新年を迎えた。
そして今年は途中で元号が変わる。
天皇陛下が変わるからだ。
西暦だけの暦にしてしまえというわけには行かぬ。
日本には独自の歴史がある。
その歴史を一気に消し去るわけには行かない。
今思えば、平成という名前が記入されたものをテレビの前で大きく掲げた当時の官房長官(小渕恵三氏?)
を思い出すことが出来た。
自分ももう少し生きることが(元気で)出来たとすれば、「昭和、平成、??」とを体感することが出来る。
でも、それは分からない。
災害や気象の変動、酷暑から急激な寒波に至るなど、環境の急変にはついていくことは、もはや遅すぎる体躯になり果てたからだ。
簡単に言えば、体の方が急激な気候の変動に付いてはいけない状況だ。
2016年1月4日年、晴天だ。予報では「今日は風もなく穏やかな一日でしょう」ということだったと思う。寒さが嫌いな自分にとってはありがたい日になりそう。
元旦早々、午前に長男一家(4人)プラス犬、1匹で訪問。慌ただしい時間を過ごし、4人は岐阜のご両親(妻)の家に向かう。
昨年の異常気象?の続きで年が改まっても、あまり変化は現れない。エルニーニヨ現象だとか、南極の氷が溶けるとか、といった類のニュースを目にすることもあるが、それはそれとして、冬は寒いもの、雪国では相応の積雪があって当たり前のこと。当たり前のことが、当たり前でなくなれば、その先はよくないことになる。日本では昔の大飢饉の年の人々の暮らしが歴史に残っているが、現在と昔とは何もかも異なる。しかし、人類だけを見ても、いま、地球上のあちらこちらで、あってほしくない出来事が頻繁に起きている。
日本国内だけ見ても、たとえば、戦国時代の弱肉強食の時を経て、先の戦争では、地球上、他に類を見ない原子爆弾を小さな島国である火山列島で浴びせられている(2回も)。こんなことは起きてはならないことではあるが、事実である以上もとに戻すことは不可能なことだ。
兄たちは戦場に駆り出されたが、当時の私は国民学校低学年だったが故に違う人生を踏むことになった。
いま、また戦争の足音が近くなっている気配が。資源に乏しい国のこと。ひとたび、贅の限りを尽くした民の心を引き締めるということは、不可能に近い。
「時々思うことだが、現在の日本は、地球上で一番、贅沢をしている。」そして格差(生活の程度)。こんな時代はかつて存在しなかったし、これからもないだろう。
そして間もなく、日本国も衰退し、やがて長い永い歴史の闇に消えていく運命にある。
想えば、私はこの歴史の中で一時の平穏のなかで生きることができたことに感謝するべきであろう。
あたらしい年が始まった。特別な感慨もないが、新年が、何事もなく、当たり前にすぎてくれることをねがうのみ。近年、気候の変動が歴史に照らしてみても必ずしも暦どうり、というわけにいかなくなった。私のような古い人間も、新しい感覚で、生きていかねばならない時代。さりながら、古い人間は古い、考え方、行動、生き方全般に及ぶ。それでも毎年、お正月が来る。老人にとってはどうでも良いことながら、いたしかたなし。ともあれ、正月。長男から、搾りたての原酒の差し入れ、更に、銘柄酒の原酒のプレゼントが。私にとっては嬉しい限り。元旦から随分と飲みました。その意味では、結構な年始です。
恒例の苧ヶ瀬池散歩では「八大竜王」宮での「升酒の飲み放題」升酒を飲みました。木の升にお酒をいっぱい入れて、升の角に塩を少し載せて、塩を少しなめて升酒を飲む。これが升酒の飲み方だ。(長男からのお酒の差し入れ↓)
今日も快晴、10時頃になって急に「うぬまの森へ行ってみよう」ということになる。「森の本屋さん」まえから展望台へ、ついで市指定の散策コースに従い、ゆっくり歩き、約3時間程度経過。空気もよく、遠くまで見通せる。ブラブラ歩き、最後は明王山近くで分岐して駐車場へ。約3時間。自然の中で過ごせた。入口付近で一人の人に会い、いろいろ話を聞いたが、その後は展望台で一人の人を見かけたのみ。途中、御嶽山が正面にきれいに見える。
7日、七草がゆの日だ。昨夕、近くの知人が「七草がゆ」に使って、と蕪などを届けて
くださった。
今朝、早速使わせていただき、おいしい「かゆを」食べることができた。
いつも私にまで気をかけて下さる方がいて頭が下がります。
「ありがとうございます」おかげで朝から元気をいただきました。
今日の天気は申し分なし。早速八木山に出掛ける。途中や山の上でいつも会う人たち
に会う。今日の天気に誘われて頂上から少しだけ時間を延長して、仲間の人たちと話し
ながらの散策ができた。暖かな天気に誘われれ、八木山山頂付近で、この冬、初めて
ヤマガラ、メジロ(野鳥)を近くで観察出来た。
帰宅後、玄関横に花を植える場所を計画していたので、
準備と地ならしをする。
1月5日、今日は小寒。寒さもこれからが本番。朝からのよい天気に
誘われて、八木山へ。途中、多くの人に出会う。
思いはどなたも同じだ。冬休み期間中なので子ども連れが目立つ。
頂上からの眺めをいつものように見る。
晴天なので、どこかに春の気配などはないかと思うも全くなし。
春一番に美しい紫の花を一杯咲かせてくれるミツバツツジの蕾をじっと
見ていたら、かたい蕾のままだが、かすかにではあるが地下で根っこが
春を待っている、あるいは活動の準備に向かっている気配だ。
ミツバツツジの蕾
顔の欠けたお地蔵さんも
1月3日
1月3日風が冷たい、時折雪も風に乗って流れてくる寒い日だ。
まず、血圧の測定、昨日、飲みすぎたのか自分の平均よりかなり高い。
それでも朝食の前に、まず一杯、正月の3日目、朝から飲むのは長い
間の習慣だ。次いで服薬を数種類、これは欠かせない。
テレビを見ながら飲む。銘柄は「元旦一番しぼり」。やはり、旨い。
早めに切り上げ、一休みして家内と散歩に。あまりにも寒い、しかも風が強いので
途中で喫茶店にはいる。
意を決していつもの散歩コース、おがせ池方面に向かう。
おがせ池には「八大龍王」を祭っている。(これは歴史的にもとても古いようだ)
お賽銭を小銭で投げ入れる。
ところが、ほんとに小銭だったのに、当番の人がたき火をしていて
「どうぞ、お神酒をやっていって」の声がかかる。
よせばよいのに、臆面もなく「それでは」と枡酒を一杯。がんがん燃え盛る火の前で、
ゆっくりと頂く。体が温まってきたので帰宅に向かう。
途中、長女からの電話が入ったりして、結構正月気分を味わう。