人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

今日も晴天、暑い日だ。

2019-06-24 | 令和

 朝から晴れたり薄い雲が出てきたりだが、今日も暑い日だ。
夏山に根気よく出かけた頃を思い出す。
いまは、そこまでの体力、元気がなくてくすぶっているが、山でなくても、せめて大自然の中に身を置いてみたい。
緑と水と清らかな流れ。
そこで育まれる心、感動は単に非日常であるからだけではなく、心身の休養である。
 思い出します「ヤッホー」そして少しの時間差で「ヤッホー」と返ってくる。
「懐かしいなあ」あの頃が。






 


病院通い

2019-06-21 | 令和

 一番初めは夏の暑い盛りだったと思う。
 パソコンに向かっていたとき、急に発作に襲われ机に座っていられなくなり、板の間に横になってしまった。
その瞬間、茶箪笥の上の受話器のコードだけは握った状態だった。出かけていた家内に電話連絡をすることが出来た。
 以後の処置が適格であったので、何とか今日まで生き延びている。
それからは、ことあるごとに同じ病院にかかっている。(現在もである)
 そのことのメリットもある。長い年月が経過しても、自分が患者としての記録はすべて残っている。
 病院の医師が変わってもすべてがわかるようになっているからだ。
自分は古いタイプの人間だ。検査を受けながら、自分の内臓が目の前で同時進行で動いている状態がわかるのだ。
 「日本の医学の進歩もたいしたものだ」
 長女が長年看護師として(港区で)働いていることから、いろいろと助言もしてくれるし、出来る範囲で病院にまでついて行ってくれる。従って父(私の)の体調に少しでも変化があれば、その状態を担当医に説明してくれているので、自分自身であれこれと説明しなくて済んでいる。
 現在はおおむね二ケ月に一回通院するという状態が続いている。
多分これから先も同じような状態であろう。
 長い年月の間には考えられるあらゆる検査を受けた。それは各科にわたっている。総合病院の便利なところである。
 頭は脳の構造とその大切な部分(能神経外科)胃(内視鏡による胃の検査)腸の検査(大腸の内視鏡による)
 幸運なことにいずれも大きなダメージはない。内視鏡による検査は細い螺旋状の先端に小さなカメラがついていて、患者である自分の大腸であれ、胃の内部であれ、そのカメラを通して患者自身がテレビの画面が動いてるような状態でみていられる。
 日本の医学の進歩はすごいものと感心している。


関市は歴史、刃物、円空さんの町 

2019-06-15 | 令和

 岐阜県関市は歴史の古い町だ。
 いまは刃物の町として立派に通用してるが、例えば「刃物会館」?があって、そこではいろんな刃物が見学できる。炉の中に赤々と火が燃えていてその中に鉄の塊を入れて焼く、十分に焼けた鉄の塊を鋼鉄の上で力を入れて叩いて少しずつ刀の形に整えていく。購入もできる。私も毎日のように使用してる「カミソリ」使い捨てのものでも驚くほどの切れ味である。
また、変わった小物では「鼻毛切」というのがあって、購入するときは所詮子供の玩具だろうと思っていたが、一回使用してみたところ驚いた。これはすごい、本物だ。認識を改めさせられた。
 時節柄、製品はすべて本物であるので、値段も安くはないが、実際に使ってみれば納得できるものばかりだ。
 年に数回だが、自分の住む町のスーパーマーケットにも関市の「刃物やさん」が出張して宣伝を兼ねて店を広げていることもある。
 例年秋だったと思うが、「関市刃物祭り」があってそこでは刃物販売のほか、包丁研ぎを無料でやってくれていたのを思い出す。自宅で切れなくなった包丁を持参していくと「決まった場所で預かってくれ、帰りに切れるように研いで渡してくれた。いまも、同じようなことが行われているかと思う。
 また、実演の時間になると、真剣を使い、孟宗竹や藁人形を立てて置き、すごい速さで斜め輪切りにする実演を見せてくれた。
 四方が階段状になった席の真ん中で刀をつくる実演も見た。中が薄暗い中心の炉の中で鉄の塊を真っ赤に焼き、大きなハンマーでたたいて平べったい板状の鉄に、そして徐々に刀の形になるまでたたき続ける。
 やがて、きれいに刀の形になるまで整える。
あとは、砥石を使って研ぐだけ。関市の長良川




 
古い時代の建築物の後にはこのように「印」がある。


好天続きでいいんだが、そのあとが心配だ

2019-06-05 | 令和

 今日もいい天気だ。
自分は雨降りよりも晴天の方が好きなんだけれど、そのあとが気になる。
 すべては大自然のなせる業ではあるが、何事も、人の能力を超える分野だ。
適当な時に適量の雨と陽光とが降り注いでくれれば、最高なんだけれども、地球全体のバランスやら、いろいろと難しい法則もあろう。人類だけを考えても太平洋上の島国である日本と、反対の気候の国々とだけでもまるで異なる。

 かなり前に、ニュージランドの南島に観光で行ったことがあるが、日本の真夏の季節に、真冬の衣類、をいっぱい持参しての旅だった。
 南極の永久凍土が溶けて、大きな氷壁が海に崩れ落ちる場面をテレビで見ていたが、すごい勢いで崩れ落ちるものだ。
 地球と言えど永久、絶対ではない。いまある自分を感謝して、日々を前向きに生きなければならない。








老人は月日の経つのが早く感じられる

2019-06-03 | 令和

 老人は月日の経過が早く感じます。
自分だけのことかと思いもしたが、これは誰にも共通の現象(?)と思われる。
 子供のときは、楽しいお盆やお正月が巡ってくるのが待ち遠しかった思い出のある人は多い筈だ。
 今年も6月になって、あっという間に半年が過ぎ去っしまうであろう考えると、寂しい気もするがやむを得ない。現実を曲げることは、出来ない。
 このことだけは太古の昔からいろんな逸話もあるが、「不老不死」の人はひとりもいないのだ。
 自分はいま、82歳だ。そろそろ迎えがくる頃と思ってる。心と頭を出来るだけ整えて、「周囲の人にかけるであろう迷惑も極力少なく」と思うところ。
 いま外は曇り空だが、日中はどうかな。












今朝は曇天

2019-05-31 | 令和

 いまは曇ってます。この先はどうでしょう。
5月は晴天が多く、時季外れと思えるほどの暑さを感じたんだが、そろそろ梅雨の時期も、
 自分の年齢からして寒いよりは暖かい方が断然良いのだが、気候にしてみても決まりごとに従わないと、あらゆる部分に狂いが生ずることになる。
 人類、野生動物、鳥類、昆虫、植物、魚類、爬虫類などすべてに影響が及ぶ。若いころ、「ポンペイ最後の日」といった物語を読んだようにぼんやりと思いだすが、何もかもが火山灰の下になってしまう。日照時間が狂ってしまう。 
 日本にだって火山の爆発で火砕流によって民家や町がすべて飲み込まれたといった例が多い。
 自分が観光旅行で行った先で民家の屋根だけ、残して火砕流に埋まっているところを歩いて通過した記憶もある。つまり、「地球も生きている」ということが。
 薄陽が差してきたもようだがどうか。(画像は妙高高原で)










 

 


今日も晴天 暑い

2019-05-23 | 令和

 今日も晴天だ。屋外は暑い。5月なので朝は外の方が気持ちいい。
 正午頃になると、屋外にいると暑くてたまらない。自分の年齢からしてつらい状態だ。
季節が早春から春へ、そして初夏から夏へと移動していく過程にありますが、この現象を自分の年齢から感覚的に表現すると、とても速いと感じる。子供の頃、「もういくつ寝るとお正月、お正月には凧揚げて、追い羽揚げて遊びましょ」といった歌を聞いたこともあったが、お正月とか、お盆とかにはたとえわずかであっても、親は子供にお小遣いとして持たせたものだ。敗戦とその後の暮らしの中、親からもらった小銭で買えるものは何もなかったが。
 そのころは季節の移り変わりがとても遅く思ったものだ。
 80代になってこの感覚がどうにも早く思えてくる。つまり、子供の頃は楽しい(と想像)することが老齢になると反対になるのだ。


夜間の大雨、すごかった

2019-05-21 | 令和

 夜中からの激しい雨には、驚かされた。布団の中で雨の音を聞いてるだけのことだが、自宅の場合、一つの部屋の外側にアクリル製の温室風のものが付属されている。つまり一室のガラス窓の外に、もう一室がつながった状態になっている。降雨時にアクリルの天井部分にポタポタと雨粒をはじく音がする。急な夕立のときもそうだが、大雨が降るとそれなりに雨の音が、室内にいても響くのだ。
 その音が結構大きく部屋にいても聞こえるのだ。
 昨年の秋に「ぶどう」の苗木を2本、 購入し空き地に植えてある。どうせ根付かないであろうと考えて、一本ずつ別々の店で、苗を購入して、植えておいたところ、春には2本共に発芽して、成長を始めた。
 枯れずに新芽が出るのであれば、初めから一本にしたものをと思ったが、それはそれ、そのままにしてあり、何年か後の楽しみということで、そのままだ。
 でも、調べてみると、「ぶどう」の場合、結構消毒もせねばならない。実際に実がなったら、袋掛けの他、それなりの手をかけなければならない。ところが自分の年齢から計算してそれまで体の方は健康を保つことは、出来ないと思うにいたる。家内はその手のことには興味なしだ。
 最終結果は最後まで分からないということで、自分の健康に頼ってみるしかない。

 


朝からノンビリしています。

2019-05-12 | 令和

 今朝、起きようとしたときに、頭が「スッキリしないな」と思いながら、重い腰をあげて立ち上がった。
 第2日曜日、苺池公園の掃除当番日だ。もたもたしてたら家内が「私が行ってくる」と出かけた。
市役所発行の広報にによれば、この地域は年齢構成が市内全体から見ても断然高い。
 日本国の財政そのものも急に膨らんだり、大方の企業も規模が大きくなったりした頃と思う。
子供が増え、住民も増えた。子供が成長したころ、それらの若者の就職先がない状態に。
 結果、若者の大部分は地元から離れて就職。
 「あとには老いていく両親が残ってる」といった現実。
 地元にも大企業があるが、限られた数だ。



    この町内にも野草(ゼンマイ)があることに最近気づいた。



お寺(本堂)の建て替えが終わっている。柱から屋根からものすごい工事である。(右角は風鐸)
 

 


いよいよ害虫の季節だ

2019-05-11 | 令和

 今日は暖かいというより暑い日だ。
近頃の天候は日替わりで暑さ、寒さが体に感じる。
自分だけかとも思い、数人の人に声をかけ、自分の思いを伝えて、感想を聞いてみると
自分と同様に感じていることがわかった。
「俺だけが異常というわけじゃない」と少し安心した。

「大袈裟に言えば、地球が変動期に入ったのでは?」
などと思ってみた。
「気持ちを若く持たなければ」。
 いづれにしてもこれからは、細かい虫などが多くなり、数年前には全く見かけなかった
虫などが、昨年あたりから、やたらと増えたと思うのだ。
 公園で午前9時頃より、グランドゴルフに興じる。(約一時間) 
そのような場所にも、以前は見たこともない細かい虫が何故か目の周りを飛び回るから
気になって追い払うのに結構な手間だ。追っても追っても離れない。困りものである。
 近くにため池がある故かもしれないが、どうにもならない。
また、このあたりは田植えが遅くていまだに水が入らないのだ。数年前より気になっていたが、水が入り、機械で田植えを済ませたころ、田圃に沿って歩いてみてると一斉にカエルが出てくる。
 そして、数年前から気にしてるが、田圃の中にジャンボタニシ、が目立ってくる。これなど古くからの日本のコメ造りのうえで絶対に考えられなかったことである。
 更に気になることは、田圃に沿った道を散歩してると、気付くことがある。立て札が遠慮がちにあって、よく見ると「飼料用米栽培中」とある。
 戦中、敗戦後を必死な思いで生きてきた「うぬまじいちゃん」としては、理屈はどうあれ、これは納得できないことだ。

 老人はつまらないことを思うものだ。

                    五葉ツツジ↑

 


両陛下の一般参賀、連休の最終日

2019-05-06 | 令和

 両陛下の一般参賀に14万人以上の人が集まったとのテレビでの報道である。
名もない、そして貧しい一般の勤労者。老人、その他。社会的に弱者と言われている人たちには、雲の上の話にすぎないことだが世はさまざまである。
 今日は連休の最終日(振替休日)である。老人の日常は随分と前から、サンディー毎日である。
 かなり、贅沢のように感じられるが、特別な国家資格であるとか、農業とか家業が職人だからいった仕事についてる人以外は、似たような状態かと、思うところ。










 
 


令和元年初日

2019-05-01 | 令和

 令和元年が始まった。
昨日からのテレビを覗いているが、めったにないことだ。
 当事者である新天皇陛下はもとより内閣、宮内庁をはじめ、とても大きな行事である。
国事行事でとして行われた。

 この行事の初めから現在までの間、何事もなく厳粛に整然と、進んできたこと。 
そして見事なまでに時間どうりに進んでいることに、国民も身の引き締まるで行事の進行を見守っている。
戦後70年以上もの間、自然災害はあったが、戦争もなく平和な日々が続いた。
 令和という時代が日本国の平和、そして海外諸国との友好がますます盛んになることを願うものだ。
いまから陛下が即位して初めて国民の代表者(266名)の出席者の前にて「朝見の儀」が始まる。
 そして安陪総理大臣が陛下に挨拶があった。
 次いで新天皇が上皇天皇のお言葉があった。(これまでの歩みについての感謝の言葉) 
 新時代が平和であることを祈るばかりだ。






曇天の一日

2019-04-28 | 令和

 曇天の一日だ。
でも、昨日のようには風もなく、気温も普通というべきか?。
 明日は4月30日。つまり、平成の元号が終わりになり、明後日の5月1日からは令和の元号になる。
テレビでは平成の時代での両陛下について、写真を使い、当時のテレビ画面を使いながら、厳粛に、且つ丁寧に放映しています。11時30分現在。明日は最後の日だ。(平成の元号としては)

 何はともあれ、戦争のない平和な日本であることを望んでいる。そして70年も続いた日本国の平和を国民のすべてが更に長く続くことになるように、実践しなければならない。これは気を抜いては駄目なので、国民の一人ひとりが肝に銘じて、それぞれの子孫に伝え続けるしかないのだ。

 


風の強い日だ

2019-04-27 | 令和

 朝から風の強い日だ。しかも寒い。
炬燵に入ってても、ちょうどよい感じだ。
 最近は天候がおかしいのか、あるいは自分の頭や体力がなくなったのか。
寒さや暑さが極端に身に応える。
今日は4月27日だ。サクラが散ってからかなり日が経っている。
 いまは近所の公園では藤の花が咲き始めている。
花の房はまだ小さいが、徐々に大きくなっていくんだろうと思われる。 
 季節は確実に正しくすすんでいるんだ。 青紫蘇と赤紫蘇の苗(植え替えるが夏にソウメンを食べるときに葉を刻んで使うと食が進む)




青紫蘇と赤しその苗 ↑