人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

天候が時季外れに感じられる

2019-11-25 | 後期高齢者

近頃の天気を見てると、とても時期の気候とは考えられないような日が多い。
子供のころから、11月ならばこのような寒さになる。
そして、大人たちがはどのような事を考えてえて日々を送ってるかが、なんとなく
わかったように感じるのだが、現在は異なる。
これは自分の加齢からくる思い違いなのか


寒暖の差が日替わりだ

2019-11-21 | 後期高齢者

 連日、暑かったり、寒かったりの日が小刻みに変わる感じで(この地方)老体はついていけない。
若い人たちの立場から見れば、特別異常に感じられないのかもしれないが、当方ヨレヨレの老人だ。
 このような日替わりで天候が目まぐるしく変化する状況には体調を崩さず、心も平常心で元気で動き回っている人もいるのかと考えてしまう。
 今朝はゆっくりとやすんで布団の中で、温もりの朝を堪能しようと思ってたんだが、4時前には目が覚めて以後、眠れない。じっと我慢の時間に耐えて、耐えきれなくての起床だ。
 まあ、いいか。若いころのように、第一に職場のこと。第2に職場のこと。そして第3にも職場のことだったころにはそれが生きがいであったのかもしれない。
 でも今は違う。身体の置き場に困るというか、毎日、どうして過ごそうか?。それが悩みといえばいえるかも?。(いま82・5歳)
 


曇り空から雨に

2019-11-18 | 後期高齢者

 朝からスッキリしない天候。
14時過ぎから雨になる。
昨日は昼夜共に寒かったが、今日は雨による冷えを感じる「うぬまじいちゃん」だ。
嫌ですね、この歳になると些細なことにもその日、その時の心と身体の状態でスッキリしたり、またその逆であったり、ということの繰り返しのように思ったり、体に感じるのです。
 しかしながら、その日その日が巡ってきて、そして去っていくんです。
 昨日は昨日、そして今日は今日と割り切ってるつもりではあるけれど、気持ちと身体とは別なんですね。
ずっと昔から、老人はこんなことを考えて、そして日々を過ごしてやがて消えていったということが、いまだからわかりますが、10年前であったらわからなかったと思う


天候が定まらない、今日は寒波だ。

2019-11-14 | 後期高齢者


                  樺太師範学校の記念碑

                    教學の碑  
         
                 
皆さんこれが最後です
           有名な話ですが、樺太師範学校跡地がよく見える場所に
          設置されている「教學の碑」
              

 


寒くなりました

2019-11-12 | 後期高齢者

  天候が従来のように定まらないこの頃だと思うのだが、
これは自分だけのこと?。
 今朝は寒い朝だが、どうだろう。と言っても今はまだ6時だ。
 カーテンの隙間から覗いてみたところ、外は真っ暗闇だ。
今朝は少し忙しいのだ。
 地域の決まりで、日頃出せない不燃ゴミを6時から8時までに出さねばならないのだ。
数日前から二階の雑多なものを家内と二人である程度まで片付けた。
 自分は82歳、家内79歳であるから、そろそろ片付けていかないといざというときに困るだろうからだ。
それも、ぼちぼちとである。でも、いま自宅の2階は空っぽに近い状態だ。

 「これでいいのだ」
 漫画かどこかで聞いたような意味不明な表現なれど、このことは今後にも続く。

             ナナカマド   


深まる秋

2019-11-11 | 後期高齢者

 秋も深まってきました。夕日が沈む時間が最も謙虚に間違いなく私たちに知らせてくれます。
そうなると高齢者はどことなく落ち着きがなくなってきます。
 どうでもいいことと、自分の中では納得していることではあっても、昨日も今日もそして明日も自分の両手両足がまともに動くという事実。
 このことがある限りは、自らの老境を実感として味わうことはできないのだ。
現在の日本人は、均して数十年前の人に比べて、長生きになっている。言ってみれば自分もその中の一人として入れて貰っているんだと、納得している。
 このことは考えずに、のんびり構えてその時が来たら、皆さんと足並みをそろえればいいんだと決めている。
まあ、世間の波任せ、流されるところまで流されてみようと思う。
 「これでいいんだ人生は!」ということだろう。 
 今宵も焼酎と果実酒を混ぜてお湯割りにして呑んだが実に旨いのだ。
 明日のことは考えないことにしている。
ところで次回の総合病院の予約日はいつだっけ?。