朝まで雨の音が聞こえた。起きてみるといつでも降り出しそうだったが、以後は雨は止んだ。でも、すぐにでも降り出す雰囲気だ。
昨日から年賀状の準備をするが、根気が続かなくて家内の助けも借りて何とかなりそう。
雨の止んだすきに外へ出て、外気を吸ったり、春になったら何を植えようかなど玄関横や付近を眺めている。
外気は温かだが、明朝は晴天らしいので朝は冷えるのかな?。近頃の天候は日替わりだったり、予報のようにはならずに、朝起きて「着るものに考え込んだり」という状態がよくある自分。
さて、年末なのでこのブログ、来年はどうしようか。などと思うこの頃だ。
1、思い切ってやめてしまう。
2、加齢により、脳が弱ってきたので、その気になった時だけ続けてみる。
3、形式などを変えて継続する。
いま、思いつく限り、こんなところだ。正月にいい案が(出てくるとは思えないが)あればと思う。
下の画像は「やぶこうじ」
歳末も確実にやって来る。
自分の齢になると驚きも期待もない。
まだ社会人として自立できていない孫たちにやるべき、お年玉の工面程度だ。
後は、何も予定もなし。考えることもなしだ。
古い家の玄関横、奥の空き地のミョウガが植わっているところ辺りに
来春には、ブドウの苗を一本植えて見ようかなどと思っているところだ。
テレビの台に使ってる箱の中から、書籍に挟む栞が一枚出てきた。
見れば「丸岡城・日本一短い手紙の館」とあり、
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬 肥やせ」とある。
5弁のサクラと思える「マークとお城」がが入っている。
たしか「山内一豊が城主」だったところだ思い出した。
昨日から一段と寒さが厳しくなった。
でも、今年の気候変動ではまだまだ、寒さも信頼できない自分だ。
地球の変動で、各地の気流などに変化が確実に起こっているということであれば、そのことに対する反論する
ことはできないのも事実。
でも、それにしても、冬が来ていることはまちがい。
「16時30分現在の天気予報は明朝も冷えて気温は低い」場所により差が多く、いずれにしても冷えるだろう。
冬至までは少しずつ昼が短くなる。当たり前のことだが、早い時間に暗くなる時期は自分は嫌いだ。
春の到来は遠い道のりだ。そして自分たち夫婦はいずれも高齢だ。火の始末、等にには必要以上に気を付ける。
12月8日だ。昨夜は深夜頃から、気温がぐっと下がり、寒かった。
例年、寒くなると、利用したりしていた、敷き布団の上に敷く「電気毛布」なる薄物を取り出して、利用することに。
夏の酷暑ともいえる暑さにも応えたが、「冬は暖冬?」を予想していた自分は今回も見事に裏切られた。
こ頃の日本列島、というか、気圧の動きはどうなってしまったのか?。
自分の頭の衰えからは離れて自分勝手に思うようになった。
ところで、今日は「トラトラトラ」「新高山登レ 」と聞けば高齢の人たちならば、即、思い出す。
高齢の人であればだれでも言わずと知れた「大東亜戦争」の勃発である。
真珠湾にあったアメリカ海軍最大の基地だ。そこに戦争をするとの通知もなしに、深夜、アメリカ海軍の艦隊に総攻撃を
したのである。
そして広島、長崎に原爆投下だ。
大戦に負けて日本国は何もかもゼロにされてしまい、戦犯として処刑された人。国土も少なくなってしまった。
その他刑務所に入れられた人々。A級、B級などに分けられて、受刑された。
これらの決まり事は「ポツダム宣言」によって定められたように実行され、「マッカーサー元帥によって統治された」。
農地解放」つまり、小作人はその時点で田畑を耕作していた人のものになった。
只、日本列島には田畑のみならず、森林も多くあって、これについては手を付けられていないと、記憶している。
学校には行っても行かなくてもよく、小さな子供がさらに小さな子供を子守しながら(背中におんぶして)遊んでいたものだ。
山村などでは、着衣もままならず、上の子のものを下の子が受けて着る。
破れたら、ぼろ布で縫い付ける。そんな生活がかなりの間、続いた。
それでも、男子ならば、成人したら徴兵検査があって、まとも(健康及び体躯面で)な人は学生であろうが、職業人であろうが例外なくである。
やがて、「英霊」と言われた戦死者が「骨箱」に入って地元に帰ってくる。
外地で戦死した人の場合、本人の遺骨かどうかわからない。海軍に入れられた人は、航空隊同様、「骨箱の中身は小石や砂が一握り」であったとあとで聞いた。
学校の築山には戦時中は「明治神宮」と掘られた大きな石塔があって、朝一番の朝礼時には、最後に男の若い先生が
「明治神宮に向かって最敬礼」と大音響で号令をかける。(戦後はその場所にに)二宮尊徳のコンクリート像が立っていたのは記憶しているが、その後、その像はたおされて転がっていたのを思い出すが、今はその築山には杉の木が植わっている筈だ。その学校のあと地も年月を経て高校の分校になった。
NHKテレビの「朝ドラ」を見てて、遠い記憶を思い出した次第。
12月7日(金)、17:30だ。寒い、今夜は冷えそうだ。
昨夜もこの地方は冷えてくるとのテレビで、予報をなんとなく聞いていたので、そのつもりで冷えてもいいように1枚余分に着込んで寐た。
深夜なんとなく目覚めてトイレに。
気付いたら、着衣が濡れる汗。
あわてて着換えることに。
自分の老化現象を直視しないで、結果が不本意であった場合に、自分の不注意を素直に認めたくないということになる。
駄目な自分、何もできない自分。そのことを素直に自覚して、結果が自分の予想を裏切ったときには自分の不注意を思わないことが、自覚のない自分に反転してくることを知るべくであろう。
全く駄目な自分であることか?。
そのうえで、自分のようなものにでも出来ることで、社会の、世間の、近隣のためになることがあったならば、なんでも「やらせていただこう」の心構えを忘れないように努力しよう。